農業、営業マン、タイ料理。「変化を恐れない男」が最後に辿り着いた鮨の道 | SUSHI TIMES

農業、営業マン、タイ料理。「変化を恐れない男」が最後に辿り着いた鮨の道

「センベロ」でも知られる昭和の趣きが残る街、溝の口。その閑静な住宅街の一角に「鮨 すがひさ」はある。洗練された大人っぽい雰囲気の鮨屋だが接客は堅苦しくなく週末は家族連れも多い。探究心溢れる大将が握る鮨は、舌の肥えた客に支持されている。 

「すがひさ」を紹介する上で避けて通れないのは、何と言っても店主の菅(かん)さんの経歴だ。鮨の世界に入る前はタイ料理の修行をしていたのだ。普段はタイ料理を「封印」しているという菅さんだが、あるお客に「普通の人が食べたことないものを」とリクエストされたのがきっかけで、タイ料理とのコラボレーション鮨開発してしまった。

俳優の高嶋政宏さんが通う店として「すがひさ」がテレビ番組で紹介された際も、鮨屋なのに本格的なカオマンガイを食べさせる「変態グルメ」の店とされた。それ以降、菅さん自身も「変態、変態とイジラれる」ことがあると苦笑い。

そんな異色の鮨職人・菅正博さんへのインタビュー。これは一筋縄では行かなそうだ。

酪農、パナマ共和国、音楽業界・・華麗なる転職歴の理由

菅さんは北海道の酪農学園大学を卒業後、農業技術を教えるため、青年海外協力隊に参加。23歳の時に中米のパナマ共和国に2年間住み、現地の人々に農業技術を教えた。コミュニケーションはスペイン語。全く話せなかったが、青年海外協力隊で行われた3か月の研修で、現地の人に技術を教えられるレベルまでに上達した。任期終了後、帰国してからは東京に住む。大学時代の先輩がミュージシャンだった縁で、大手レコード会社に入社。だが業界のカルチャーは独特だ。上司に「君は真面目すぎてこの業界には合わない」と言われたことを機に転職することに。当時交際していた彼女(現在の奥さん)の実家が農家だったため、結婚すればいずれ跡を継ぐことになるだろう、と考えた。そうなると経営にまつわる知識や技術が必須だ、と思い営業力を鍛えられそうなリクルートに入社した。

青年海外協力隊時代

現地の方とのコミュニケーションは当時まで使ったこともないスペイン語。

と、ここまでが22歳から25歳までの菅さんの略歴である。インタビュー開始5分で、たった3年分なのに物凄い情報量だ。温厚な人柄からは想像し難い、凄まじい行動力と好奇心の持ち主なのだろうと感じさせる。

さて、リクルートでは有期契約の社員となり、そこから3年間は営業に没頭した。

「日本の会社を全く知らないので、勉強したいと思った」という。

営業職は未経験だったが、とにかく無我夢中で働いた菅さんは徐々に頭角を表し、営業成績では首都圏エリアのトップ座を争うまでになった。毎月の売り上げを競った同期とは親友になり、切磋琢磨した。この同期とは毎日顔を合わせ、夢を語り合う仲だった。彼は後に菅さんの人生観を変えることになる。

営業魂を叩き込まれたリクルートで同僚たちと

契約終了後、奥さんの実家を継ごうと考えたが、改めて義父に意見を求めると「別に帰ってこなくて良い」という。肩透かしを食う形で、東京にとどまった。ここから菅さんは目標を見失い、数年間彷徨うことになる。

「リクルート時代の先輩が起業した会社の営業を手伝っていました。ただ、目的がないので集中力もイマイチで。そうこうしているうちに東北の震災が起き『人間いつ死ぬかわからないんだから好きなことやろう』と思ったんです」

自分の本当に好きな事は何か、毎日自問自答した。営業職の経験から、お客様に喜んでもらえることが自分の喜びだと考えるようになった。飲食店の仕事なら、お客様の反応が直に早く感じられるのではないかと考えた。そこで、後継者を探しているという行きつけのタイカレー店に「私が手伝います」と申し出た。

「即決してしまいました。後からカミさんには怒られましたけど。笑」

この時点で、飲食業は未経験。しかしここで4年間、2番手として働くうちにタイ料理の世界に没頭していった。菅さんの予定では数年のうちに後継者となるはずだったが、マスターはいつまでも変わらず元気で、しばらく代替わりはなさそうだった。料理人としてもさらにステップアップしたいと考えるようになったが、先は見えていなかった。

その頃、リクルート時代トップ争いをしていた同僚が不慮の事故で突然亡くなった。

「まさか、あいつが?同い年なのに。と愕然としました。彼の死を境に、絶対後悔したくない、あいつに誇れるように、やりたいことをやろうと考えるようになりました。」

この親友は当時から語っていた「起業する」という夢を生前に叶えていた。いつか彼には自分が夢を叶えた姿も見せたいと思っていた。あいつが生きていたら、今の俺に何て言うだろう。そんな事を毎日考えた。あいつに自慢できるような自分の店を出したい。

忘れかけていた想いが菅さんを駆け巡った。

「料理人を続けたい」という意思は固まっていた。だが菅さんの料理の基礎はできていなかった。

時間と予算を考慮し、短期間で和食の基礎を学べる「飲食人大学」への入学を決めた。包丁の使い方や魚の捌き方を学ぶために入学したのだが、学校の授業を通じて思いがけず鮨の奥深さに出会う。学校は3ヶ月で卒業。その後、昼間は鮨を学ぶために築地の場外のセントラルキッチンで働いた。夜は鮨屋のつけ場(調理場)に立った。

修行より物件が先に

そうこうしているうちに、再び運命の出会いはやってきた。現在の「すがひさ」が入る物件が好条件で空いているという。以前天ぷら店が入っていた物件。貸主がそのまま使う事を条件で探していたため、鮨屋にはうってつけだった。

しかし、物件が見つかったのは良いが、肝心の鮨が握れない。オープンまでの半年間で技術を身につける必要があった。そこで飲食人大学が大阪に出店している鮨店「千陽(ちはる)」に頼みこんで入店。1月から3月までの2ヶ月間、住み込みで働いた。ここで朝から深夜まで初代千陽の店長の「完コピ」を目指し寝る間を惜しんで学んだ。

ノーマルな人間なら修行か物件、どちらかを諦めてしまいそうな状況だが、自称「ドM」の菅さん、逆境を楽しむ力が群を抜いている。加えて彼の決断力と行動力は並大抵ではない。というか決断の前に行動が進んでいるように見える。

「人がやらないことをやってみるのが好きなんです。気づけば、苦労する方ばかり選んできた気がします(笑)人生の中でも大変な方が振り返ると充実しているんですよ。」

物件を見つけてわずか半年後、2017年の4月1日に鮨職人・菅正博の「すがひさ」は開店した。

「基礎を踏まえて、オリジナリティを加える」。異色の職人の信念

菅さんは約半年の修行期間ですぐ自分の店を持った、型破りの鮨職人である。そのことについて菅さん自身はどう考えているのだろうか。

「僕の場合、技術的なことは老舗のお鮨屋さんに叶うはずがありません。だからこそ、自分にしかない経験値とオリジナリティで勝負する必要があります。」と語る。

営業職で鍛えた会話力がカウンター商売では大いに役立つ。初対面の顧客との会話から何を求めているのかをヒアリングし、次へとつなげていく。また周囲を「変態」とまで言わしめる探究心。「鮨の世界は一生勉強」と、板場にはいつも分厚い教科書が置いてある。また食材選定にも余念がない。溝の口という土地柄、ある程度の価格帯の中でも高級感の食材を出せるかが勝負だ。中でも菅さんのこだわりのマグロ。蓄養(養殖)でも味は最高レベルのものを仕入れている。

奄美産の蓄養マグロ

タイ料理のエッセンスが見え隠れする鮟肝の軍艦。上にはピンクペッパーが添えられアジアの風が吹く。

本人曰く「あまり言いたくない」習慣ではあるようだが鮨とタイ料理の食材とのコラボレーションの研究にも余念がない。この番外編の鮨や一品料理は、月に1回同店で開催されるイベントで披露されるという。

和風生春巻き。「しめ鯖」に変えて、ネタ自体の味を強くすることで、そのまま、もしくは醤油でも味わえる

画像・文出典:メシ通

『将太の寿司』に登場する「ひよっこ寿司」をアレンジ。黄身に「あん肝」を和えることで、さらに濃厚にした。

画像・文出典:メシ通

それにしてもここまでの異業種間転職、リスクもありそうだが、迷いはなかったのだろうか。

「なかったんですよね。飛び込んで夢中でやっていたらなんとかなっちゃうので」菅さんはサラリと答える。そうだ。この人は、言葉の通じない国で2年間農業を教え、飲食業界未経験でタイ料理店を継ごうとした人だった。愚問だった。

「基礎を大事にしながら、新しいものを探して古いものと融合させて行くと言うスタイルが合っていると思うんです。」と語る菅さん。
「今ここにない新しいものをどう作るのか、合わせたことのないもの同士を組み合わせたらどうなるのか。考えるだけでワクワクします。好奇心が情熱に変わる瞬間があるんです。そうなるともう止まらない(笑)仕事で一番大切なのはモチベーションをあげること。人それぞれのモチベーションの上げ方があると思いますが、僕の場合は料理への好奇心とお客様への愛情です。ですから基本に忠実に、でも自分なりに研究を続けて、新しさも提供したい。お客様に美味しい鮨を食べて頂きたい、そのためならどんな苦労も厭いません。精神論かも知れないけれど僕はそういう事を大事にして仕事をしています。」

「異色の鮨職人」はちょっと一風変わった「開拓者」。でも実はとても古風で一本気、愛に溢れた職人だった。

鮨 すがひさ
044-750-7369
予約可
神奈川県川崎市高津区久本1-16-15
東急田園都市線溝の口駅・JR南武線武蔵溝ノ口駅から305m
店舗HP

文:SUSHITIMES編集部