魚河岸の男たちに象徴される、江戸っ子の粋。 | SUSHI TIMES

魚河岸の男たちに象徴される、江戸っ子の粋。

江戸で生まれ育った人々の事を指す「江戸っ子」彼らの気風や美意識にスポットを当てることで、江戸前をかたちづくるスタイルが見えてくる。
江戸前を愛する江戸っ子たち。粋で、いなせで、はり(意地っ張り)。宵越しの金も持たず、ちょっとせっかちで喧嘩っ早い。そんなイメージが湧いてくる。
実際、江戸の町に生きた彼らはどんな風貌で、どんな気風の持ち主だったのだろうか。「江戸っ子のわらじをはくらんがしさ」。明和8年(1771年)に詠まれた川柳が、「江戸っ子」という言葉の初出とされている。「江戸っ子が草鞋を履くときは騒々しい」といった意味合いだ。つまり江戸っ子はドタバタとがさでやかましいということだろうか。ひいき目に解釈すれば、威勢がいいとも言えるだろう。

強い表情が印象的、これぞ男の憧れ
侠客を題材に様々な登場人物を描いた揃物の1点。前年の中村座での舞台を取材し描かれた、鳶のシンボルでもある半纏を羽織った土左衛門伝吉。涼しげな顔付で首をすくめる姿は粋だ。襟に「音/亀」とあるのは音羽屋の亀蔵の意。

梨園侠客伝土左衛門伝きちばん東かめ蔵
りえんきょうきゃくでんどざえもんでんきちばんどうかめぞう
歌川国定(うたがわくにさだ)文久3年(1863年)
早稲田大学演劇博物館

その日暮らしで問題ない、時代が生んだ独自の価値観。

宵越しの金は持たない、そんな気風を表す「江戸っ子の生まれ損ない金を貯め」といった川柳もある。その日暮らしでも問題ない、江戸にはいくらでも働く場所があるのだからと言うことだが、ここにはもうちょっと深い意味がある。火事が多発した江戸では金銭や物品を持っていても意味は無い。さらに言えば、火事に伴う再建のために常に多くの人手が必要とされていた。建設や土木工事を繰り返す江戸において大工や左官鳶たちは仕事に困る事はないと言う事でもあるのだ。

国定が描いた板東亀蔵扮する土左衛門伝吉。口をぐっと結方を前に突き出す姿、手ぬぐいを背中にひっかけ左手置物の中に入れ上目遣いにものを見せる様子はなんとも粋だ。土左衛門伝吉は「仕事師」つまり鳶である。常に命がけの仕事に従事する彼らの姿はまさに男の憧れだ。
厳密に追求すると「江戸っ子」の定義はかなり限定されるようだし、粋と言う概念も一言ではいい表せない複雑なニュアンスを含んでいる。
様々な江戸っ子解釈がある中、明暦(1781から89年あたり)になると魚河岸の魚問屋たちがその象徴的な存在になっていたとされる。

小人七福神と言うことで恵比寿に見立てられた4代目中村司館の姿を見てみたい。

いなせや下駄が魚河岸のスタイル。

「商人七福神」は歌舞伎役者を七福神に見立てた7枚続きのシリーズ。中村芝翫が扮する魚河岸の若い衆の姿はいかにも粋な江戸っ子といった感じだ。右上のコマ絵には、魚河岸のあった日本橋のシンボル擬宝珠と発句が記されている。
商人七福神(のうち)蛭子
豊原国周(とよはらくにちか)慶応2年(1866年)味の素食の文化センター

恵比寿のシンボルである鯛を手鉤に下げた魚河岸の若い衆姿である。髪型は当時魚河岸で大流行していた「いなせ」。まげの形がボラに似ていると言うことでそう呼ばれた。足元はやはり魚河岸発で江戸の町で大人気となった小田原下駄。元来ぬかるむ魚市場で足元が濡れないように工夫された下駄である。問屋のあった本小田原町がその名の由来だ。眼光鋭く、背中を丸め、顎を突き出すその様子は、何者にも媚びずキリッとクールで格好が良い。

江戸と言う大都市の中で生まれた新たな価値観や美意識、封建社会の中での反骨精神や美学。江戸っ子、それは粋であり、はりであり、江戸の人々が突き詰めた理想の人物像なのかもしれない。心意気あふれる日本橋・魚河岸の男たちの有り様はそうした理想と重なる重なり合江戸の人たちの心をとらえたのだ。

出典:pen 2019年1月1・15新年合併号