なぜ関東には鰻の握りがないの?意外と知らない鰻の東西の歴史 -SUSHI TIMES ORIGINALS- | SUSHI TIMES

なぜ関東には鰻の握りがないの?意外と知らない鰻の東西の歴史 -SUSHI TIMES ORIGINALS-

本記事は恵比寿えんどう店主:遠藤 記史さんのYouTube投稿の内容を抜粋・加筆して構成しています。

なぜ江戸前鮨には鰻のお鮨がないの?

 

江戸前寿司に穴子はあって鰻がないのが不思議ですよね。一方、関西地方には鰻の鮨はあるんです。

この謎を探るためにはまず関東と関西の鰻の違いについて知っておく必要があります。

鰻の調理法の違い

調理する際に、関東と関西では以下のような違いがあります。最も大きいのは調理法の違い。

江戸前は蒸し、関西は地焼きします。これに伴って、捌き方や調理用具にも違いがあります。

関東の鰻はなぜ背開きなのか

関東の鰻は蒸すため、両端に背中、真ん中にお腹がくるので、蒸したときに両端がしっかりします。

蒸す工程で身がしっかりしていた方が崩れにくいので、背開きが合理的なのではないか、と遠藤さんは推測します。

関東は武士文化なので、腹を切ること(切腹)を嫌って背開きにするのが定番とする説もありますが、

鰻以外は腹開きなので後付けではないかと考えられます。

ちなみに関西は商人の町なので「腹を割って話す」腹開きとする説も・・。

まあこの手の解釈は色々ですねw

関東の鰻調理の歴史

浮世絵の鰻屋には蒸し器が描かれていないし、包丁も専門包丁(江戸裂き)になっていないのです。江戸時代はおそらく蒸していないと考えられています。専門包丁になってくるのは江戸中期から後期になってからです。

 

蒲焼(かばやき)という名前の由来は?

鰻はもともと、どこの地域でもぶつ切りにしたものを串に刺してそのまま焼いていました。

このぶつ切りが蒲(ガマ)の穂に似ているので後に蒲焼(かばやき)と呼ばれたそうです。

画像出典:https://botanica-media.jp/2210

江戸時代に鰻は蒸していなかった

 

ここから関西で「開く」という技術が生まれ、上方から江戸に入ってきます

江戸に入ってきた当初は、関西風でした。蒸すようになったのは明治以降だと言われています。

こちらの絵は、江戸時代に描かれた浮世絵で鰻をさばく職人の姿が描かれています。

ここには蒸し器が無いんです。江戸時代の鰻を描いたどの浮世絵にも蒸し器が存在しないと言います。

明治以降鰻は高級料理になっていき、後にご飯がつくんです。

最初は蒸すという工程は存在せず、焼いた鰻がご飯によって蒸らされていた!?

お米の蒸気で鰻が柔らかくなるのが美味しいということになり結果的に「蒸す」文化が生まれたのではないか・・

あくまで遠藤さんの見解ですが、なるほど筋が通っているなと思います。

江戸前鮨には安価な穴子が合っていた

 

江戸時代、関西から江戸になれ鮨がやってきます。乳酸発酵の技術が江戸に広がります。

その結果木桶の樽にお酢が大量生産されるようになり、江戸の庶民がお酢を使えるようになったのです。

そして、発酵させる必要のない「はや寿司」ができ江戸でにぎり鮨文化が開花します。

江戸の鮨は庶民のファーストフードとして発展していきました。

ファーストフードと高級料理(鰻)は相性が悪かったのでは、と考えられます。

穴子は当時の江戸では安かったので、庶民のファーストフードとして取り入れ易かったのだと考えられます。

握り鮨文化が関西に戻る

 

関西にはもともと日本料理の原型になる「上方料理」が発展していました。

当時の日本料理屋がお鮨さんに転職していったそうです。

さらに、京都・大阪の中心部には海がなく川魚が主流だったことも理由だったようです。

 

東西でこんなにも異なる鰻の文化。歴史を紐解けば関西と関東の文化が往来することで、現在の形まで作られたことがわかります。

 

文・SUSHITIMES編集部