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なぜ土用の丑の日に鰻なの?関東と関西の鰻の価格差は3倍!? -SUSHI TIMES ORIGINALS-

万葉集にも登場「夏の鰻」

鰻に関する記述は、古くは万葉集にも登場します。大伴家持の和歌にこのような作品があります。

石麻呂に吾物申す夏痩せに吉しと云ふ物ぞむなぎ取り食せ

「むなぎ」は鰻のことで、夏痩せしてしまった石麻呂という人に、夏痩せには鰻がいいというよ、とってきて食べなさいと言った意味です。万葉集に登場するくらいですから、精力のつく食べ物としての鰻の歴史は大変古いようです。

「土用の丑の日」仕掛け人は誰?

鰻を食べる習慣についての由来には諸説あります。

春木屋善兵衛説

神田の春木屋善兵衛という鰻屋に、どこぞの殿様から大量の鰻の蒲焼きの注 文がやって来ました。とても一日で焼けるような分量ではないので三日間焼き続けて納入することにし、「子・丑・寅」の三日間焼き続け、焼き上がった蒲焼きは床下の甕の中に保存しました。 さて、いざ殿様へ納入という段になって甕から出してみると、子と寅の日に  焼いた鰻は傷んでおり、丑の日に焼いた物だけが状態が良かったということで、それ以来「鰻を焼くのは丑の日」と云うことになったという由来説が江  戸買物独案内という本に書かれています。

平賀源内説

丑の日に “う” の付く食べ物を食べると夏負けしない」という民間伝承があり、知り合いの鰻屋から、夏場に鰻を売るアイデアを問われた蘭学者の平賀源内が、「本日丑の日」と店先に出すように勧めたという説なども知られています。

五行説による呪術説

夏の土用は、五行説では「火気」の夏と「土気」の土用が「火生土(火土を  生ず)」という関係にあって、火の気が異常に強まってしまう時期と言うことです。強すぎる火の気はこれを抑える必要がある。火気を抑えるものはといえば水気(「水剋火(水  は火に剋(か)つ」)。 そこで、水気を導入するために、この期間の水気の日である「丑の日」(丑  は十二支の分類では水気)を用いて強すぎる火気を抑えるという呪術的な行 事だという説が有ります。

春木屋説、平賀源内説、呪術説いずれについても、はっきりとした史料的な裏付けはないようです。

高級ブランド「江戸前鰻」

巧妙なブランド化戦略

江戸時代の鰻は、「江戸前」と「それ以外」に大別されました。江戸前ではない鰻は「旅鰻」(たびうなぎ)と呼んで格下に扱われました。18世紀中頃から江戸で鰻が大人気となり、他と差別化するブランド化戦略が進んだのです。

明確な定義があるわけではありませんが、現在は東京湾で取れた魚介全般が江戸前と呼ばれているようです。元来の「江戸前」は江戸城(現在の皇居の場所)の目の前の海のことで、羽田と旧江戸川の河口(現在の東京ディズニーリゾートの東側)を結んだ線の内側あたりになります。当時は江戸城のすぐ近くまで入り江が入り込んでいたので、すぐそこで水揚げした新鮮な魚が、将軍家や武家の食卓に上がり、市中でも食されていたそうです。絶滅危惧種となったニホンウナギも、現在はタワーマンションが林立するあたりで水揚げされていたわけです。

文化2年(1805)に出版された『職人尽絵詞』(しょくにんづくしえことば)には、「江戸前大蒲焼」の看板を出した鰻屋が描かれている。店頭に立つ女性が「うちには旅うなぎはないよ〜、すべて江戸前だよ〜」と、自慢気に声を張り上げています。

高級志向から庶民派まで3タイプの鰻屋があった

「鰻屋」=「高級」=「遅い」というイメージが今も受け継がれていますが、江戸には庶民に向けた鰻屋もありました。露店に近い庶民的な鰻屋や天秤棒で焼きながら蒲焼を売り歩く蒲焼売りは高級店の数より多かったようです。
つまり、蒲焼以外は売らない立派な店構えの名店と呼ばれる「料亭」感覚の『高級な鰻屋』と、うな丼や泥鰌や鯰もを売るような「めし屋」「食堂」感覚の『庶民的な鰻屋』と、天秤棒で売り歩く蒲焼売りや露店のような店構えのB級グルメ感覚の『露店的な鰻屋』が同時に存在していた事になります。

関東と関西の鰻の違い

京阪は「腹開き」、江戸は「腹開き」

調理法は、京坂は「腹開き」(鰻の腹から割く)だが、江戸は武士の町なので「腹開き」は切腹を連想させます。これは縁起が悪いということになり。「背開き」(背中から割く)になったといわれています。実は、東西問わず鰻は最初から背開きで、後に京都を中心に、こってりと焼きあがるのに適した腹開きが始まったという説もあり、どうも判然としない。蒲焼にする前に鰻を蒸す調理法にしても、明治に入ってから東京で開始されたもので、江戸時代は東西ともに蒸さずに焼いていたといいます

江戸前鰻は関西の3倍高い!?

棒手振の鰻の価格は、京坂(京都・大坂)では一串6文(72円)、江戸は16文(192円)。鰻飯はレストラン価格なのに対して、こちらは庶民にも手の届くファストフード的な価格設定です。京坂と江戸で価格が違うのは、京坂は大骨をとらずに売り、江戸は大骨を取り除いていた分、手間暇がかかっていたからです。

「干し見世」(ほしみせ)といわれる露天でも、鰻を売っていました。江戸繁華街の光景『浄瑠理町繁花の図』に露天鰻屋があります。夫婦らしき男女が台の上で鰻を焼いています。そこへ近所の奥さんのような人がお盆を持参して買いにきています。価格は記されていませんが、庶民の口に入る鰻なので、おそらく棒手振と同じくらいの値段だったのでしょう。

 

文・編集:SUSHITIMES 編集部

出典:

http://koyomi.vis.ne.jp/doc/mlwa/202007210.htm

https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00988/

出典:nippon.com