「やま幸」山口氏と「はっこく 」佐藤氏の深い関係 | SUSHI TIMES

「やま幸」山口氏と「はっこく 」佐藤氏の深い関係

「はっこく」は2018年に銀座にオープンし、瞬く間に予約困難店となりました。ほぼ無名だった【鮨 とかみ】を1年でミシュランの1つ星に導いた豪腕鮨職人、佐藤博之さんが初めてオーナーを務めるこのお店。鮨ファンの間でこの店を知らない人はいないはず。佐藤氏はマグロを最大限に活かす酢飯を研究に研究を重ね、世に広めたパイオニアでもあります。赤酢といえば佐藤氏を思い浮かべる人も好くなくないでしょう。

そんな佐藤氏の実家は鮨屋を営んでいました。小さい頃から鮨職人となるべく英才教育を受け、サラブレッドとして育ってきたのだろう・・そんな想像は容易にできます。しかし、佐藤さん自身は実家の鮨屋を継ぐ気はまったく無かったというのが、意外です。

「(実家は)品川の街場の鮨屋ですよ。昔ながらの店で、シャリが甘くてデカい。継ぐ気は全然なかったですね。だって、絶対これは長い商売にはならないだろうと思いましたもん。高校生くらいで気づいて、おふくろに聞いてみたら『継がなくていいわよ』って。」(佐藤さん)

高校生の佐藤氏はバンド活動に夢中で、卒業後もギターを続けながらアルバイトをしていたそうです。

この時のアルバイト先がグローバル代ニングの『ゼスト』や、『NOBU TOKYO』でした。佐藤さんはここで、ウェイターとして客に接する楽しさや飲食店のおもしろさを知ったそうです。アルバイトを辞めて3ヶ月間滞在したアメリカで見たウェイターの地位の高さも衝撃的だったととのこと。この状況で日本でウェイターを続けても先が見えているのでは・・と感じたそうです。

「どうしても鮨職人」ではなく「鮨屋でいいかな」

佐藤さんはこの時、自分の進みたい道に気づきます。

「アメリカから帰国して、身の振り方を考えたときに、飲食はやりたい、ウエイターのようにお客さんとダイレクトに接したい……あれ、鮨屋かも?って。やはり親父がやっていたというのは大きくて、親が天ぷら屋だったら天ぷら屋になっていたかもしれません。」(佐藤さん)

佐藤さんは「消去法」で鮨の道を選んだというのです。

ウェイターのアルバイト経験やアメリカ旅行通じて、自分が一番熱くなれることは、あんなに嫌だった「鮨屋」で叶えられるという発見をしたのです。

ついに鮨屋で働こうと決めた佐藤さん。実家の鮨屋以外で経験を積みたかったそうで、鮨の食べ歩きを始めます。縁あって新泉の「秋月」というお鮨屋さんに入ります。佐藤さんはその時点で25歳でした。この年齢で修行を始めるのは、鮨の世界では遅めです。大所帯の店だと握らせてもらえるようになるまで何年もかかるので、すぐにチャンスが回ってきそうな、ちょうどいい大きさの個人店を狙ったといいます。「秋月」では6年間働き、一通りの仕込みができるようになったそうです。

出典:https://salon.teriyaki.me/bisyokuclub/11718/.html

「やま幸」山口幸隆社長との出会い

「秋月」退店後、六本木にあるダイニングバーの鮨カウンターで働きました。深夜になると上にあるホストクラブからホストとお客さんが降りてきて鮨をつまむというような不思議な店だったそうですが、佐藤さんがこの店を選んだのにも理由があったのです。

「ほぼひとりでやっていたので、自由にやらせてもらえたし、いろんな人と仲良くなれたのはよかったですね。サパークラブの真ん中にあるステージで鮨を握ったのも僕くらいじゃないかな。」(佐藤さん)

そこで運命の出会いが待っていました。マグロ仲卸『やま幸』社長の山口幸隆氏です。山口氏に、新規オープンする肉とマグロの和食店を一緒にやらないかという誘われました。それが麻布十番の『尾崎幸隆』だったのです。

画像出典 https://shae-bear.com/archives/2252

出典:https://salon.teriyaki.me/bisyokuclub/11718/.html

いきなり”銀座の鮨屋の大将”に

『尾崎幸隆』では一年くらい働きました。和食の料理人と一緒に仕事をし様々な勉強をする中で「そろそろ和食じゃなくて鮨もやりたいな」と考えていたそうです。山口さんから「銀座でやってる和食屋を鮨屋にして、やってみたら?」と促されます。「内容も好きにしていいから。店名変えたっていいよ」と。こうして和食の『とかみ』を鮨屋として展開することになりました。

銀座の土地勘もルールも知らない佐藤さんにとって、この店を切り盛りするのはハードルが高かったようです。佐藤さんが店主になる前についていたお客さんも、店主が佐藤さんに代わると次第に離れてしまい、一日にひと組、ふた組、ゼロの日もあったといいます。

山口氏との厚い信頼関係

しかし、オーナーの山口さんはそんな状況でも「頑張るのは俺じゃなくて、お前だ!」と、佐藤さんのやり方に一切口を出さなかったそうです。

「だから僕は山口さんの最高のマグロにある最高のシャリを作ろうと頑張って、それが今のシャリにつながっています。」と語る佐藤さん。

そこから、佐藤さんが命を賭けたシャリの研究が始まります。

https://hitosara.com/chef/73hakkoku.html

一度口にした者を虜にする、佐藤さんのシャリ。秘策は酒粕を原料にした赤酢で酸味は控えめでアミノ酸が多く含まれています。赤酢の独特の香りでマグロのくせを抑えてうまみを引き出すよう何度も試して完成度を高めたといいます。

佐藤氏のマグロへの探究心や素材を活かす手腕が話題となり、「鮨とかみ」には客が戻り始めます。やがて1年経つ頃にはミシュラン一つ星を獲得。瞬く間に「鮨とかみ の佐藤博之」は世界にも名を馳せる鮨職人となったのです。

「やま幸」山口さんは後にテレビ番組の取材に対し「こんなに立派な職人になるとは思わなかったが才能はあった」と語っています。

出典:https://salon.teriyaki.me/bisyokuclub/11718/.html

「まぐろの突先手巻き」は山口氏の助言から生まれた

佐藤さんの代名詞とも言えるまぐろの突先の手巻き寿司は、山口氏が持ち込んだまぐろの突先と呼ばれる頭の付け根部分から生まれました。(とかみの突先巻きについて詳しくはこちら

 

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「(マグロの突先という部位を持ってきて)『筋が強いけどすごく旨いから使えよ』って教えてくれて、そんな山口さんと一緒にやっているからこそできることですよね。今度は鮨屋だから、赤酢のシャリで、海苔巻きで。」(佐藤さん)

佐藤氏が考案したマグロの突先巻きは、巻物が最初に出されるという斬新さと突先という部位の秘められた美味さが話題になり、「とかみ」の代名詞となりました。

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「はっこく 」にかけた想い

佐藤さんは「とかみ」を任された時から3年で次のステップに進もうと考えていたそうです。計画通り、3年間で自分で作りたい店のイメージを固めていきます。そして、2018年、銀座に「はっこく 」をオープンさせました。

店名の【はっこく】には佐藤さんのこんな想いがかけられています。

「白黒はっきりつくまでは引き下がらない侍をイメージしました。僕にどれだけのことがやれるかわかりませんが、鮨職人として銀座という大舞台に立つチャンスを与えてもらったからには、とことんチャレンジしたい。そう思っています。」(佐藤さん)

出典:https://hitosara.com/chef/73hakkoku.html

「鮨職人としての生き方」

様々なインタビューを読んでいると、佐藤博之さんという人の柔軟で好奇心溢れる性格が浮かび上がってきます。彼の人の懐にスルッと入っていく人懐こさと、その上で信頼関係のある相手の期待に応えるべく最前の努力をしていくという誠実さ。努力と行動の積み重ねが、現在の彼の偉業に繋がっているのですね。1人の鮨職人の生き方を通じて、大切な事は何なのか改めて考えさせられます。

最後に、そんな佐藤さんの生き方を表しているご本人の言葉を。

「僕なりの解釈ですが、ひとつひとつの事柄に真摯に向き合うこと。そうしていれば誰かが認めてくれて、出会いも広がっていく。そこでめぐり合った人と、今度はしっかり信頼関係を築いていく。それに尽きます。」

出典:https://hitosara.com/chef/73hakkoku.html

 

 

文・編集:SUSHI TIMES  編集部