世界で活躍する寿司職人たちの言葉 -SUSHI TIMES ORIGINALS- | SUSHI TIMES

世界で活躍する寿司職人たちの言葉 -SUSHI TIMES ORIGINALS-

日本で修行し、海外で店を持ち成功を収める寿司職人たち。彼らの生き様を表す名言を過去のインタビューから抜粋してご紹介します。

成功とは1つのことを「続け切る」こと。一生懸命続けていれば、悪いようにはならない

「NOBU」「MATSUHISA」|松久信幸さん

高校卒業後、東京の寿司屋・松栄で7年間修業をした後、24歳でペルーに渡る。若き職人時代をペルーとアルゼンチンで過ごし腕を磨いていった。南アメリカでは、共同経営者とうまくいかず失敗。アラスカで再挑戦するが、オープンして50日後に店が全焼。「自殺まで考えた」と語る。その後ロサンゼルスに渡って店を開きましたが、2年間儲けが出ませんでした。デ・ニーロからの誘いを受け、現在は全世界で15店、1500人のスタッフを抱えるレストラン事業のオーナーである。

画像出典:Harvard business review

「人生で大切なのは、夢を持つことと、1つのことを続けること。「継続は力なり」という言葉が好きですが、1つのことを「続け切る」こと。一生懸命続けていれば、悪いようにはならないんですよ。自分がその仕事について、人生について、商売に対して一生懸命、誠心誠意を尽くしていればそれでいい。仕事をしている時は、お客様にどうしたら喜んでいただけるか考えることが原点です。」

 

自分を知って、自分を活かす

Masa|高山 雅芳さん

栃木県黒磯市で魚屋を営む父のもとに生まれ魚に触れて育つ。高校を卒業後、東京で板前修業中の兄に銀座の「寿司幸」を紹介してもらい、修行を開始。1979年、8年間務めた「寿司幸」を辞めて、観光でロサンゼルスに。ある日知り合いの方に寿司屋へ連れて行ってもらい、ロスでの寿司人気に驚く。知り合いの勧めもあり、1980年に「鯖屋」をオープン。1984年、客単価40−50ドルの大衆店だった「鯖屋」を売り、同じくオーナーシェフとして、ロサンゼルスのダウンタウンに「寿司幸」の暖簾分けの新しい店「Ginza Sushi-ko(銀座寿司幸)」をオープンした。1992年のロス暴動で、ダウンタウンにあった店の近辺も被害を受け、ビバリーヒルズに移転。2004年、ニューヨークに移転してからは2005年秋にミシュランガイドブック(2006年版)がNYに上陸して、初年度は二つ星、そして2009年版からはずっと三つ星を獲得、押しも押されぬ人気店へと躍進した。

画像出典:Foodion

江戸前の心意気を大事にしているという高山氏。高校を卒業してすぐに入った「寿司幸」で一番学んだのは”洗練”だった。氏が教わった三代目の旦那はとても粋な人で、話の仕方も江戸っ子らしく気っ風が良い。そんな生き方が寿司にも出る。私が一番影響を受けた人物だという。

「私はね、お寿司というのはもっとも洗練された食べ物だと思うんです。江戸っ子の粋が形になった食。新鮮な魚と味をつけたご飯、握ってすぐさま食べるという行為、味そのもの。」

若い料理人たちに成功の秘訣を、とインタビューで聞かれ高山氏はこう語った。

「成功しようと思うことよりも、もっと大切なことは”自分自身を知ること”です。お客さんのために自分を殺すのではなく、自分を活かしつつやりたい仕事をしていくことが大切です。」

インタビュー出典:Foodion

寿司職人は「さらしの商売」

「Sushi Sho」|中澤圭二さん

中学卒業後、15歳で料理の世界に入り、全国各地で修行を重ね技術の研鑽を積む。1989年、26歳のときに初めて自身の店となる【すし匠さわ】を東京・二番町に開店。1993年には、【すし匠】を東京・四谷にオープンし、現在はのれん分けを含む、グループ店舗15店を展開。今日では鮨の技術や造詣の深さにより、日本で最も影響力をもつ江戸前鮨職人の一人と称えられ、2007年、自身の経験を反映させた『鮨屋の人間力』を出版。2016年春、ハワイのリッツカールトン・レジデンスワイキキビーチに【すし匠】を出店。

画像出典:dressing

「寿司店も、カウンターでお客さんと相対しているので、同じ『マグロ』を握るにしても、所作や言葉遣いなど、そういう要素ですべてが変わってしまいます。空気も含めた、コミュニケーション能力が必要なんです。例えば、迷惑なお客さんがいたときに、「この人たちは、しょうがないね」っていうんでは、寿司屋の店主は務まらないですね。そうなる前に食い止める術があるはずなんです。あるいは、そうなったときにもきちんと言う。それが空気をつくるということです。空気がつくれない職人は、「さらしの商売」をやるにはまだまだ失格だと思います。全体的な居心地を良くすることは、小肌を仕込むよりも大事な仕事なんですよ。」

出典:Chef’s Table

日本では当たり前の「努力」を、海外に来た途端怠けてやらなくなってしまう人は多い

「鮨 みさき」|見崎昌宏さん

SUSHITIMESのインタビューにも答えていただいた見崎昌宏氏はタイのバンコクで鮨店3店舗を経営している。実家は静岡で和食の料理屋を営んでおり、高校卒業後は家業を継ごうと料理の道へ。箱根や熱海、横浜の料亭などで懐石料理の下積みを経験。10年経った頃「料理の鉄人」として著名な森本正治氏からインド・ムンバイにある「タージマハルホテル」内の日本食レストランの料理長にスカウトされる。タイで独立してからは、自身の店は2019 年ミシュランガイドでミシュランプレートとして掲載されるなどバンコクで最も予約の取れない鮨屋としても話題だ。

「僕の強みの一つは、修行時代に苦労した経験です。みんなが寝てる時間に練習して、誰も見ていないところで手間かけて。そういった、日本では当たり前の「努力」を、海外に来た途端と怠けてやらなくなってしまう人は多いんですよ。現地の人間に任せた結果、そういう努力を割愛しても良いことはありません。自分で実践して見せていくことが重要です。」

出典:スシタイムス