SUSHI TIMES

モザンビークで鮨と生きる(後編)

かねてからの目標であったアフリカ移住をし、モザンビークの首都マプトでレストランを始めることになった藤本さん。現地ではどのように事業を立ち上げ、経営基盤を作っていったのだろうか。

前編はこちら

まずは実験的に開業する

藤本さんはこの「YASUKE」を通じて先々の経営方針を固める、つまりフィジビリティスタディとして回していこうと考えた。和食として認知度の高い鮨を出すことは決めていたので、鮨職人を雇うことも考えたが、鮨屋の経営に詳しい友人に聞くと、日本人の鮨職人は各国で引く手あまたで、モザンビークまで呼び寄せるのは難しいという事だった。そこで自分で勉強して寿司を握れるようになろうと考えた。

こうして藤本さんは日本の寿司職人養成学校「東京すしアカデミー」に通う事になる。2ヶ月の短期間ではあったが基礎を身に付けることができた。現在藤本さんは大きなサーモンを週2、3本一人でさばいている。天ぷらなどの和食の知識も増えたことが、現在でも非常に役立っているという。

自店舗を開店

学校卒業後、2018年6月に再びモザンビークに戻ると一軒屋を借りて住居兼レストラン「MUSASHI」を始めた。

 

マプトに住む外国人はニューヨークにいたり銀座で食べた経験がある「味がわかる」人が多い。彼らには「マプトの他の店とシャリが全然違う」と評価された。

 

握りのメニューはマグロ・サーモンがメイン

一品メニューは現地の人にも日本人にも好まれるように開発した

MUSASHIの全メニュー

 


「MUSASHI」で週1回提供しているラーメン

 

客単価は日本とほぼ同じ

 

「MUSASHI」の客単価はおよそ2275円(1300メティカル=22ドル)。ランチだけの客単価1500円くらいだ。あまり日本と変わらない。MUSASHIの利用客は現地の富裕層が最も多いという。

首都マプトに住む、国際機関や在外公館、外資系企業に務める駐在外国人や一部の富裕モザンビーク人は多くいる。彼らの中には日本人以上に日本のことを知っている人もいる。フランス人客から、藤本さんも知らない日本映画の紹介を受けて上映会をしたこともあるという。

またモザンビーク人の間の格差も大きい。モザンビークには国立大3つしかなく、大卒は数少ないため、売り手市場でお金をもらっているが、そうでない人の収入は平均++円程度だ。

現地の人のマネジメント

現在「MUSASHI」の従業員は16名で、全員モザンビーク人。陽気で親しみやすい彼らは音楽があれば踊りだす、楽しい国民性の人たちだ。

 

一方、仕事面では勤勉とは言い難い。まず仕事を教えても1回では覚えない。分量まで細かく決められたマニュアルはあるが、やはりそれでも誤差が出る。一方通行のコミュニケーションではほとんどの事がうまく行かない。

最近では週2−3回勉強会を開催し意思疎通をとるように努力しているという。

ただそんなモザンビーク人でも10人に1人くらいは要領の良い人がいるという。藤本さんは覚えの良い人を見極め、その人に正確に伝えてから他の人にも教えてもらっている。能力の差を給与に反映することも忘れていない。

これも国民性なのか、時間は守れない人も多いが、その点は特に厳しく指導している。

「厳しく指導するよりも『無遅刻・無欠席が2ヶ月続いたらボーナス』というルールにしたら勤怠が良くなりました。『普通』のことを徹底してもらうのにも努力が必要ですね」藤本さんは笑って語るが、マネジメントにおいても相当な苦労がうかがえる。

藤本さんが使える言語は英語と日本語で、基本的にはそれだけで乗り切っている。優秀な通訳可能なスタッフが1名いるが、そのほかの従業員は、女性が多く、多くが子供がおり、シングルマザーだったり。魚市場で隣の店で働いていたが、給料未払いで雇って欲しいと泣きついてきた人もいた。従業員も言葉がわからなくても「察する力」が付いているという。

現地の食材事情

マプトで手に入る魚はサーモン、マグロ、エビ。マプトはインド洋を臨む港町で、マグロは日本の遠洋漁業船がモザンビークにくるくらい獲れるのだが、現地は海産物の加工技術が乏しく、魚の血抜きもしないので痛みが早い。そこで南アフリカ経由のマグロ・サーモンを業者に持って来てもらう。

マプトの魚市場。様々な種類の魚が売られている。MUSASHIでは魚市場ではなく加工技術を持った専門業者から仕入れている

エビは深海で採取し船の上で冷凍したものが届く。

藤本さんは「日本人が食べに来ても不満が出ない店」を目指している。マプトで入手できる素材は鮮度も質も良い。生食も可能な食材があるが、現地の人は生の食感を嫌うので、火を入れたメニューも多く揃えている。

今後の展開

実は藤本さんの目標はまだまだ序章段階だ。レストランの経営を軌道に乗せる事がゴールではなく、あくまで現地の経済を回す仕組みを作る事が目標だからだ。

そこで、養鶏を始めた。レストランで出た生ゴミを餌に混ぜて再利用する。育てた鶏でチキンカツロールを作る。現在はこのサイクルを作っている段階だ。

「地産地消の仕組みで、農業と飲食店の輪を作りたいのです。田舎にいると夢とか目標を実現できるわけない」という感覚に陥りがちです。でも、夢は実現できるもの。そういう事を、知り合った人たちに伝えられたら良いなと思っています。」

また、マプトはモザンビークの地方都市から出稼ぎに来て仕送りしている人も多い。

「女性だと、婚姻せず出産するケースが多く、シングルマザーの労働者がたくさんいます。彼らが安心して働ける環境を作りたいです。」と藤本さん。

海外就職を考えている人へ

海外で鮨職人として働くにはどんな準備が必要なのか、藤本さんに聞いた。

「行きたいと思っているなら行くしかないです。日本に帰ったって何かしら仕事はあるのだから大丈夫。ビザが取れるなら国ならどこでも行けば良いと思います。行ってみたら状況が変わるし、行ってみたら色々工夫していかなくてならない。用意周到に考えるタイプではないのでこういう言い方になりますが、実際、海外で働こうとする時に予測できるのはほんの一部です。

また、和食に関しては「ピン」と「キリ」両方を知っている必要があると思います。本物を出せる知識と、現地の食材事情などで調整する能力。そのどちらも必要です。日本にいる間に食べられる物を食べておく必要があると思います。」

藤本さんは、自らの経験と知見を実現しながら試行錯誤し続け、社会に還元していこうとしている。鮨文化が根付いていない国で鮨を握るとは、こういう事なのかもしれない。

文:SUSHITIMES編集部