モザンビークで鮨と生きる(前編) | SUSHI TIMES

モザンビークで鮨と生きる(前編)

モザンビークの首都、マプトは人口100万人の港町。そこで唯一の日本人寿司職人として店を経営する人がいる。藤本浩平さん、36歳だ。マプトは、隣の南アフリカと比較するとまだ発展途上の国。鮨屋を経営する日本人も彼一人だけだ。そんな地でなぜ鮨屋を開こうと思ったのか?

モザンビーク首都で唯一の日本人鮨職人の生い立ち

藤本さんは幼い頃、星を見るのが好きな少年だった。何億光年も彼方の光を見つめながら「時間ってなんだろう?」と哲学的な思考を持つ少年だった。やがて「死」を理解する頃には「死んでも名前が残るような人になる」事が夢となった。

「他人の基準ではなく、自分の基準で人生を全うしたい。そのためには、いろんなことを経験したいし見て見たい。」これが現在の藤本さんの価値観の軸となっている。

大学時代に始めたトライアスロンでは初心者ながら猛特訓に励み、大学のチームを初の全国優勝に導いた。この経験から「夢とか目標は達成していくもの」と実感したという。大会を終えた藤本さんの次の目標は「世界中を旅する事」だった。そこで大学を休学して世界を巡る旅に出た。自分とは全く違う人種の人々がいる国に憧れがあり旅したのは中東、アフリカ大陸へ。

シリア、ヨルダン、エジプト、エチオピア、ケニアを周り帰国。特にこの時訪れたエチオピアでは衝撃を受けた。現地人でない藤本さんをみたエチオピア人は「よお、金くれよ」とカジュアルに話しかけて来た。物乞いでもない、一般の通行人がそんな対応をすることに藤本さんは驚愕した。

国際協力意識が高まる2005年頃は世界中で「援助ブーム」が起きていた。発展途上国にはNGOが次々に設立され、先進国による資本が大量に投下された。支援される側の国では「もらって当然」という空気が流れていたのかもしれない。

「発展途上国への支援が、現地人の自立する力を奪っている’…」
そう感じた藤本さんは自分ができることはないのか、自問自答した。

現地の人々にとっての「本当の自立」は何か

「とは言っても、自分は経済や仕組みを作り直すことはできない。それなら、現在の資本主義の市場の上でできることは何かを考えようと思った。自分が仕事を持って来て彼らに働いてもらおうと考えました。」藤本さんの夢は「世界旅行」から「発展途上国の人々に労働環境を作ること」へと変化した。

大学を2007年に卒業後、まずは日本で社会経験を積んでおこうと考えたため、まずは新卒でベンチャー企業に就職。少数精鋭の環境でビジネスの基本を徹底的に学んだ。

「そうだ、アフリカに行こう」

30歳になる年の正月(2013年1月)に同窓会があり、そこで気づきを得て2013年7月に退職。
同年、1社目を退職した藤本さんは故郷の広島県尾道市に一時帰省。30歳になる同級生のほとんどが家庭を持っており、彼らの話題は「どこに家を建てる」というような内容が中心だった。同級生とは違い、一つの場所で生きる選択をしていない自分を実感した。だったらもう、いまアフリカに行けば良い。藤本さんはすぐに旅支度をした。まずは足がかりとして南アフリカ・ケープタウンの語学学校に入学した。1ヶ月の間にアフリカ大陸の国々について調べた。その後エチオピアのアディスアベバに移動。現地の語学学校に通いながら知人の紹介でコーヒーの輸出会社で半年間だけ働いた。この間に現地のいくつかのビジネスに挑戦したがうまく行かず失敗。壁はエチオピアという国独特の法規制だった。国は製造業を誘致したいため、エチオピアで外国人がビジネスを始めるには、2000万円の貯蓄証明がないとライセンスがおりないのだ。結局藤本さんはエチオピアに2年弱滞在したが、エチオピアでのチャレンジを一度断念し、帰国。
帰国時に友人の紹介でモザンビークで不動産業を始めている人を紹介され、2015年9月、モザンビークへ。知人の紹介で不動産会社で働いた。日本でのビジネス経験が評価され、モザンビークでの足場が固まった。

モザンビークとはどんな国?

 

画像出典:https://www.britannica.com/place/Mozambique

モザンビークはアフリカ大陸の中でも比較的治安は良い方だ。カタールと同量の天然ガスを保有していると言われており、世界中の企業が集まって採掘プロジェクトを進めている。日本の大手商社も例外ではない。日系企業2兆円規模(総工費が2兆円くらいで、三井物産は2-3,000億円だったと思います。)の投資を行っており、あと5−6年で天然ガスが採れるようになるそうだ。そんな金脈を持つ国に、近年中に外国人の移住者も増えることは間違いない。

一方、文化的・経済的には隣の南アフリカと比較すれば比較的遅れているので、まだ伸び代があると言われている。

 

画像出典:https://clubofmozambique.com/news/festive-season-2018-over-97000-visits-in-maputo-city/

この地で長く続くビジネスは何か?

「こういう発展途上の土地でどういうビジネスが続けやすいか考えたときに、ITなどのテクノロジーを使ったビジネスは廃れやすいと思ったのです。それよりも客商売の方が長く続くし、そこに農業などの第一次産業を組み合わせて行けば、小さい経済圏の中でなら生き残っていけるだろうと考えました」と藤本さんは振り返る。

そんな折、モザンビークの魚市場内にある屋台村で日本食屋をやらないかと誘われた。レストランを開業する(レストランは、アイデアの中の一つとしてあったが、ノウハウが十分あるわけでもなく、テナント料が高い当地でのそのようなビジネス展開は難しいと感じていたところへ、話をいただきました。なら固定費をかけないと決めていたので、テナント代も100ドル程度と格安のフードコートは理想的だった。

こうして2016年、藤本さんがオーナーの和食レストラン「YASUKE」がオープンした。モザンビークは魚は獲れるがは生食はできないため、南蛮漬け、魚の照り焼きをなどをメニューに掲げた。日系企業の社員向けの弁当の需要が多かった。

 

「日本人」への期待

「YASUKE」は街で初めての日本人経営の和食レストランだった。その評判を聞いた外国人客も多く訪れた。2015年当時は、隣国の南アフリカには寿司マーケットの土壌が出来上がっていたが、マプトの鮨屋は数軒しかなく、いずれも韓国人など日本人以外の経営による店だった。現地の人より、舌の肥えた欧米人などが「日本人経営の店がある」という情報に飛びついてきた。「日本人であることがブランドになる」藤本さんはそう確信した。

YASUKEは連日訪れる日本食ファンで賑わった

後編に続く

文:SUSHITIMES編集部