SUSHI TIMES

「お前に鮨は握らせない!」 父の反対を押し切り鮨職人になった娘の覚悟(後編)

昭和・平成と共にあった目黒の大衆鮨店「だるま鮨」が2019年4月30日、惜しまれつつも閉店。

しかしその店を買い戻したのは、2代目店主の娘だった。

前編はこちら

1日考え、娘は人生をかける決意をした

白形ちづえさん(写真左。右は妹さん)

 

利雄さんの娘、白形ちづえさんは現在、メディア関連会社の社長で、2人の中学生の娘を持つ母でもある。日々経営に子育てに大忙しの彼女だが、店の再建をどうしても諦められなかった。一晩考えて、自力で店を買い戻すことを決意した。

利雄さんは娘の突然の決意に大反対。「飲食業の経験もないお前にできるわけがない、この店はお前になど絶対に売らない」と激怒した。しかし、ちづえさんの決意が揺らぐ事は無かった。2019年1月から5ヶ月間で、店を買い戻すための会社を設立、資金繰りに奔走し、どうにか2億6千万円を借り入れた。その間に本業もこなしながら鮨職人の養成学校に通った。

店を開ける前に、店の所有権を得る必要がある。そのためにまず借金の返済の目処を立てなければならない。ビルにテナントを誘致し、交渉を繰り返す。一度は合意した金融機関が融資を覆したり、テナントが決まらずに眠れぬ日々を過ごし、工事が頓挫するなど数々のトラブル続きだった。なんとか不動産を正式に取得し、店を開ける目処が立ったのは、開店予定日の2019年10月1日までわずか3週間と迫った、9月上旬の事だった。しかし、新店舗の板長と期待していた親戚の板前さんが病に倒れたのも同時期だったのである。

聞いているだけで動悸と冷や汗が止まらない状況だが、ちづえさんの肝は座っていた。

「大変だって前しか見ない。やるしかないんですもん。この歳で、未経験で、女手一つで、生涯返せない莫大な借金を背負うなんてアホみたいでしょ。でも、人生は一度きりだからやったもの勝ち。なんとかなると思っちゃうんですよね。私にも先代の房子のDNAが流れているんでしょうね」とちづえさんは笑う。

 チャンスが来たなら今やるしかない

ポジティブでパワフルな、鮨屋の娘・白形ちづえさん。経歴はユニークだ。

大学卒業後、プロのスキー選手を経てモデルへと転身。モデル時代に引き受けた山岳雑誌の仕事で自然共生の生き方に感銘して「表現する仕事」を目指し、広告業界へ。男性優位の広告業界で何度も悔しい思いをした白形さん。ある時「この上司よりも仕事ができるようになってやる」と負けん気に火がつき、猛烈に仕事と勉強をこなし、数々の資格を取得しながら、電通に入社。電通の仕事で訪れた南の島で、自然共生や自他尊重の文化に触れて原点回帰し、突如仕事を辞めて1年間島に移り住む。出産を機に静岡に戻ってから起業し、様々なメディア事業に関わって来た敏腕社長だ。

ちづえさんは鮨屋の娘に生まれ、鮨屋で働く人とお客さん達に育てられた。だるま鮨という店が自分の人生の一部だったことに、2018年12月、父が閉店を決めたと知ったあの日、改めて気づかされた。

「素人の私が店を再建するなんて、無茶だとは思います。でも、人生にはやらなきゃいけない時がある。今やらないことはもう一生できないはず。起きていることは全部必然だと思うんです。私にとって、このだるま鮨復活プロジェクトは、絶対に成し遂げるべき事でした。」

寿司学校で学んだ2ヶ月

鮨は全くの素人だった白形さん。寿司職人養成学校で一通りの技術を学ぶことにした。朝から夕方まで学校に通い、夜中まで本業の仕事。深夜に帰宅してから娘たちのお弁当を作り家事をこなす「三足のわらじ」生活。睡眠時間は毎日2,3時間程度。体力的には限界だったが「絶対にだるま鮨を復活させたい」その想いが、ちづえさんを突き動かした。

2ヶ月という短い期間だったが、基礎的な知識を身に付けることができ、鮨の世界への視野が広がった。そして、学校では鮨の技術以上に大切なものを得た。「仲間」だ。2019年10月1日に再び開店するだるま鮨には、卒業生2名が職人として一緒に働く予定だ。

「さんま祭り」で父が見せた笑顔

2019年9月8日、毎年恒例の目黒さんま祭りが開催された。利雄さんと仲間たちが毎年主導してきた祭り。今年はちづえさんがだるま鮨を主導した。学校を出たての自分に回せるのか。不安はあったが、卒業生ら総勢26名が応援に駆けつけ、さんま鮨1000食を1日かけて作り、翌日に売り切った。

画像出典:https://www.sushiacademy.co.jp/archives/456

渋々応援に立ってくれた利雄さん。当初は、1000食のさんま鮨など作れる規模ではないしそんなに売れるはずもない、これまでの経験から絶対に無理な数字だと言っていた利雄さんだったが、慣れない手つきで必死に働き、声を掛けて励まし合う若い仲間たちの懸命な姿を前に、利雄さんの気持ちが変わった。2日間を終えた利雄さんの表情は晴れ晴れとしていた。

画像出典:https://www.sushiacademy.co.jp/archives/456

イベントが終わってから、手伝ってくれた卒業生がちづえさんに言った。

「今日の体験も素晴らしかったけど、それ以上に白形さんのお父さんが本当にとても嬉しそうだったことに、本当に感動しました」

ちづえさんの中に安堵と自信が湧き出た1日だった。

利雄さんはだるま鮨の再開店後に期間限定で復帰し、後継への指導をする。板長は一般から公募したが、プロジェクトに賛同した職人達から多数の応募があった。

新生・三代目だるま鮨が目指すもの

新たに開店する三代目だるま鮨も「喜びを分かち合える鮨屋」を目指す。

「お鮨は寿司と書くだけに庶民の喜びとともにあった食文化で、それは現代も変わらない。お鮨を食べるには理由がある。きっとそれは、その方の人生にとって大切な時間なんです。自分へのご褒美や、誰かへの感謝、恋人との距離を縮める時や、仲間とくつろぐ時かも知れない。その大切なかけがえのない時間を、お客さまとスタッフで共有できる空間を作りたい。それが「喜びを分かち合える鮨屋」なんです。だからこそ、本当に美味しい物を手に届く値段で提供する必要がある。。私が目指すのは、鮨職人の自己満足ではなく、お客様が本当に満足して頂けるお鮨です」

そうちづえさんは語る。

江戸前本来の鮨酢、赤酢[酒粕]と白酢[米酢]の二種類を使用。素材を最大限に生かした寿司を心がけている。三代目だるま鮨では、鮨の一貫を逸品と考えており、すべてのネタの素材や旬に合わせて、赤酢、白酢、醤油、塩などで美味しく味わえる。
最近は若い方や女性でも部下を持つケースが多い。そういう人でも自分のポケットマネーでご両親や部下にご馳走できるようなお鮨屋さんがあると良い、大人の世界に足を踏み入れ、本物のお鮨をリーズナブルに食べられるお店。そんな考えから価格はおまかせで6000円に設定した(6000円、9500円、11000円の3コースを用意)。鮨業界の外側で経験を積んできた、ちづえさんならではの顧客視点だ。

「お会計が怖い、なんてことがないように料金も統一にします。常連さんでないと一番良いネタに辿りつけないお鮨屋さんもありますが、三代目だるま鮨はお任せコースですから、お客様に平等に良いネタをたのしんで頂きます。」

価格設定やターゲットは、白形さん自身が寿司学校卒業後に、勉強したいと頼みこんでアルバイトした人気店「まんてん鮨」を参考にした。

おまかせコースの一例

雲丹は、北海道をはじめ全国の産地から旬の雲丹を使用。ばふん雲丹、むらさき雲丹、あか雲丹など。
イクラも自家製の先代からの教えの醤油でつけて提供される。
季節ごとに様々な白身魚が味わえる。
雲丹などで包んでお造りにしたり、塩やカボスを合わせたり、素材が持つ旨さを引き出す職人のセンスが愉しめる。

対馬産の煮穴子押し寿司。こだわりの煮穴子をあか酢で棒寿司に仕上げ、梅肉を中に挟み、さっぱりとしたお寿司に。こだわりは70年続く煮つめ[穴子のタレ]。煮汁を足しながら炊いた穴子は絶品だ。

戦後の日本と共に繁栄しただるま鮨。時代の流れとともに風前の灯となった鮨屋の運命。その起死回生のドラマはまだ始まったばかりだ。昭和と平成の歴史を振り返りながら、古き良き時代と、新しい時代の到来を鮨と共に味わってみたいものだ。

現在、だるま鮨はクラウドファンディングも行なっている。再生しただるま鮨に立ち寄るついでに、応援してみるのもまた一興かもしれない。

 

だるま鮨

住所:東京都品川区上大崎2-15-19 MG目黒駅前ビル 2F
JR山手線【目黒駅】東口 徒歩1分
東急目黒線、都営地下鉄三田線、東京メトロ南北線【目黒駅】徒歩3分
電話:03-3473-4715
営業時間:11:30~14:30/17:00~23:00 ※昼は今後開始する予定
定休日:不定休
お店のホームページ