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太平洋マグロの絶滅危機と未来──鮨の神様、小野二郎が“最後の築地市場”で訴える

近い将来、鮨といえばまぐろ、という常識が崩壊するかもしれない。世界一の鮨職人は今、未来を憂いている。海で、市場で、鮨屋で何が起きているのか? まぐろ好きなら、目を向けるべき現状を伝える。

文・小石原はるか 写真・マチェイ・クーチャ @ AVGVST、今清水隆宏

太平洋マグロの絶滅危機と未来──鮨の神様、小野二郎が”最後の築地市場”で訴える

❝20年前、ほしいまぐろが手に入らない日が来るなんて夢にも思っていなかった❞

今はなき、築地場内の仲卸「フジタ水産」前での貴重な1枚。50年以上、毎朝届くまぐろを見続けてきた二郎さんは、10年前にはすでに、まぐろの危機を予感していたという。「産卵場で巻き網漁をすれば、何十万と産まれるはずだった卵がなくなっちゃうんだから、まぐろが減るのは当たり前なんです」。

今一級品とされるまぐろは、昔なら三級品。

豊洲への移転を翌週に控えてどこか落ち着かない、そして一抹のやるせなさもただよう築地・東京都中央卸売市場。そこに、「すきやばし次郎」の小野二郎さんが現れた。世界最高齢の鮨職人は、御年93歳。聞けば、長男の禎一さんと共に市場に来たのは2017年の元旦以来だという。「あのときは、移転前最後の挨拶のつもりだったんですよ」。その後、事態が二転三転したのは、ご存じの通り。

訪れたのは、20年来の取引があるまぐろ(註)専門の仲卸「フジタ水産」。代表取締役の藤田浩毅さんは、二郎さんと禎一さんが全幅の信頼を置く目利きだ。「藤田さんは鮨のプロフェッショナルとしてうちが求めるまぐろをしっかり用意してくれる職人です。信頼関係があるから安心して頼めるんです」。

この日は「すきやばし次郎」同様に日本を代表するフレンチレストラン「カンテサンス」のシェフ、岸田周三さんも顔をそろえた。自身の店でまぐろを扱うことはないが、日本の水産資源の減少を食い止めるための活動を続けるシェフたちのグループ「Chefs for the Blue」のメンバーとして、二郎さん、禎一さん、藤田さんと、情報交換をしに来たのだ。

ただ、藤田さんの表情はやや浮かなかった。それは「このところ、なかなか買いたいまぐろがない」から。藤田さんの哲学は「選ぶ基準は、味がすべて。味が良くなくては意味がありません。まぐろが10本入荷しても”一番”とされるものは1本だけ。その1本ですら気に入らないことは、よくあります。自分が旨いと思うまぐろしか、買いたくないんです」。

心の底から納得のいくまぐろを見極め、適正な値をつけるのが本来あるべき仕事の姿。が、まぐろの質が低下していることは明白だという。

「20年前の三級品が今の一級品と、いうくらい違う。昔は、築地にはいいまぐろがいくらでもあって、好きなのを買えばよかった。でも今はとんでもない。そんなことをしていると手に入らなくなる」と二郎さん。禎一さんも口をそろえる。「今は”あてがいぶち”ですね。あるなかから選ぶしかない。だから、ある程度寝かせて熟成させて、旨味を引き出す技術がものをいう」。

いわずもがな、まぐろは鮨屋の花形だ。なのになぜ今、いいまぐろが”ない”のか?

最初に、ここでのまぐろとは「太平洋クロマグロ(近海本マグロ)」を指すことをことわっておく。その太平洋クロマグロの資源量は、乱獲により過去最大級に激減している。2014年にようやく絶滅危惧種に指定されたが、一時は漁業が開始される前の推定初期魚量の約2.6%まで減少してしまった。その後やや回復したというが、微々たるものだ。

減った理由は明白。6〜7月の産卵期に、マグロの産卵場で大型の巻き網漁をして母マグロや未成魚までも、文字通り一網打尽に獲っているから。卵を奪えば、命が増えないのは当然のことだろう。

平成29年8月に、水産庁が発表した「太平洋クロマグロの資源状況と管理の方向性について」という資料には「産卵期の親魚を保護すべきとの発言が出たが、科学的には、現時点でISC(北太平洋まぐろ類国際科学小委員会)から根拠は示されていない状況」とあり、”親の数と子の数に相関関係はない””したがって現状でも産卵期の親魚を取っても資源に悪影響はない”という姿勢を崩していない。が、この問題を注視している科学者の研究によれば、相関関係が明らかなグラフもあるし、実に単純な引き算のように思えて、素人目にも強弁に映る。

保全のための漁業管理手法として水産庁は今年成魚の漁獲量規制を導入したが、日本がもつ漁獲枠のうち大型巻き網漁への割り当てが妙に大きいのだ。これは、巻き網漁団体が水産庁からの天下り先になっているからという声がもっぱら。いっぽうで母マグロの卵を守るために夏場の成魚は獲らないという自主規制を敷きクロマグロを守る努力をしている一本釣りなどの沿岸漁業者、いわゆる漁師さんたちへの配分がアンバランスに低いのだから、激減も当然である。

マグロは体温が高く、獲ったらすぐに締めて冷やさないと自分の熱で身が焼ける。また、夏場の巻き網漁では一気に何トンも獲るため、網の下の方にある個体は押し潰されて身が傷む。そうした質の低下は、結果的に取引での値崩れ、価値の低下へとつながる。無計画に獲り、無駄に水産資源を減らす悪循環が止まらない。

このまま手をこまねいていると、江戸前の鮨職人たちが求める、そしてわれわれが食べたいと願う上質な太平洋クロマグロは減少の一途をたどるというのが、専門家たちの間で一致した、現時点での未来予想図だ。

フジタ水産代表取締役

藤田浩毅
豊洲市場でまぐろ専門に取り扱う仲卸。家業を継ぎ、その確かな目利きで厳しい職人たちから高い評価を得る。現在は、「すきやばし次郎」のほかにも名だたる一流店にまぐろを卸している。

出典:GQJAPAN