渦中の「久兵衛」、どんなお鮨屋さん? | SUSHI TIMES

渦中の「久兵衛」、どんなお鮨屋さん?

今世間を騒がせているすし店といえば、久兵衛。ホテルオークラからテナントの場所移転を求められ、それを「格落ち」であり不当だとして訴訟を起こしています。久兵衛が主張するお店の「格」って何?ということで、話題の久兵衛についてご紹介します。

初代はウニやイクラの軍艦巻を考案

久兵衛は1935(昭和10)年の創業。初代のすし職人・今田壽治氏は、“セメント王”と称された浅野セメント(現・太平洋セメント)社長の浅野総一郎氏に見いだされ、銀座で独立。それまで握りに適さないとされたウニやイクラを、軍艦巻という新しいスタイルで提供し、一躍江戸前ずしの革命児として脚光を浴びました。

昭和16年頃、ある常連のお客様が、北海道からウニを持参して、「これで寿司を握ってくれ、」と言いました。当時、柔らかくて握るとすぐ崩れるような食材を寿司ネタにする発想はありませんでしたが、先代主人、今田壽治は二つ返事で引き受けました。試行錯誤の末、たどり着いたのが、海苔で囲んだシャリのうえにウニを乗せる今のスタイル。戦時中ということもあり「軍艦巻き」と呼ばれるようになりました。海苔のパリパリした食感の後にウニ本来の味がシャリに絡んで絶妙なおいしさを引き出す新しい寿司の握り方。お客様は大変喜びましたが、江戸前の伝統にこだわる同業者からは「ゲテモノ」と非難されました。それでも、先代はめげることなく、イクラや小柱の軍艦巻きを考案するなど、寿司ネタの幅を広げていきました。お客様の要望に応え、伝統に執着することなく新しい発想をカタチにする努力を重ねる。そんな先代の流儀は今も「久兵衛」に息づいています。

美食家に愛されたすし職人

 久兵衛は陶芸家で美食家の北大路魯山人氏、小説家の志賀直哉氏、政治家の吉田茂氏に愛されました。さらに、米国のクリントン元大統領、オバマ前大統領など、今日に至るまで国内外の要人に利用されてきたのは、江戸前ずしの継承者であると共に、革新者でもあったからです。

久兵衛の先代、今田壽治氏と魯山人。先代は秋田出身だが、気風の良さは江戸っ子以上で、魯山人は「今様一心太助」と呼んだ。

 2代目である今田洋輔氏の時代になると、高級すしにありがちな“一見さんお断り”の姿勢を否定し、顧客を平等に扱う経営方針を打ち出しました。また、値段は時価でなく明朗会計になっており、セールの時はランチを4000円くらいから食べられる。いったんカウンターに座れば3万円以上を覚悟しなければならない高級すし店が多いなか、リーズナブルな対応ができる大衆性も併せ持っています。

久兵衛本店には魯山人ミニギャラリーがある(出所:久兵衛公式Webサイト)

「ホテル寿司」のパイオニア的な存在

 「古臭い」「気難しい高飛車な職人が握っている」というイメージが強い江戸前ずしとは一線を画し、顧客本位を貫いてきました。銀座本店は新館も合わせ123席を擁し、カウンターだけの小規模店が多い高級すし店とは一線を画します。この異例ともいえる大型店は、観光バスもコースに組み入れるほどの人気を誇っています。

 店舗は、銀座本店の他、ホテルオークラ東京、ホテルニューオータニ、京王プラザホテル(東京都新宿区)、帝国ホテル大阪(大阪市)に構えており、「ホテル寿司」のパイオニアでもあります。

 しかし、近年は大人数の顧客をさばくため、シャリ担当、魚を切る担当、握って接客する担当などと細かく分業することの弊害が目立つようになり、仕事全体が見えない職人が増えたとの批判も聞くようになったとか。

明日の記事では、「なぜホテルオークラと揉めているのか?」についてご紹介します。

出典:Itmedia online
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