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日本で蟹を食べ始めたのはいつ頃?【食用蟹の歴史】

鮨ネタとしてもおなじみの蟹。日本人はいつころから蟹を食べ始めるようになったのでしょうか。食用蟹の歴史や食文化をご紹介します。

万葉集

食用蟹の歴史が記録として残されている書物があります。それが万葉集です。万葉集は日本に現存する最古の和歌集で、誰もが一度は聞いた事があるでしょう。蟹についても和歌として残されています。

万葉集は7世紀後半から8世紀後半にかけて作られたので、蟹も西暦700年前後には食べられていたと推定されます。ただ和歌の歌い手が直接食べて感想を歌った訳でなく、これから食べられる蟹を哀れむ内容となっています。具体的な描写も少ないので、塩を塗って食べた事ぐらいしか把握できません。

江戸の庶民の味=ワタリガニ

蟹の漁獲量が多い所といえば北海道です。北海道では江戸時代の後期にはカニ漁が行われ、塩漬けにして本州にも送られていました。明治時代に入ると塩漬けから缶詰が主流になり、カニの缶詰は海外にも輸出されていました。

ただし、日本でも昔からズワイガニやタラバガニを全国で食べていたわけではありません。昔は冷蔵技術がなかったから遠方で獲れたカニを運ぶわけにもいかず、地産地消が基本でした。そのため、江戸の街で食べられていたカニは江戸前の海、つまり東京湾で獲れたワタリガニです。でも当時、ワタリガニは魚介類の中でもかなり下の部類として扱われていたので、お金持ちはあまり食べない庶民の味でした。

ズワイガニを食べる機会があまりなかったのは冷蔵技術がなかったからだけではありません。そもそも昔は水深200mに生息するズワイガニを獲る漁の技術もなかったのです。その技術が開発されたのが安土桃山時代。重りを付けた網を海の中に沈めて魚やカニを獲る底引き網のような漁が若狭湾で開発されたのです。これによってズワイガニは福井の特産品として江戸時代の文献にも記載されるほどになりました。これが今でも「越前がに」として全国のカニ好きに愛されているというわけです。

高級蟹の代名詞・タラバガニは昔、捨てられていた!?

食べられる蟹にも種類があり、中には食用蟹としての歴史が浅い蟹も存在します。それがタラバガニです。タラバガニが食べられるようになったのは明治時代以降だと言われています。

タラバガニが流行り始めたきっかけは、当時盛んに行われていたサケ、マス漁が衰退したからです。明治時代初期はタラバガニの商品価値は無かったので、浜辺に棄てられていました。その後、サケ、マスが不漁となりその代わりの水産資源としてタラバガニは一気に台頭してきたのです。

カニと蜘蛛は仲間だから昔は食べられなかった?

「見た目が蜘蛛にそっくりだから気持ち悪くて食べられない。」「カニはクモの仲間だから食べない事にしている。」少数ではありますが、このような理由で蟹を嫌う方がいらっしゃいます。

中には、そっくり・仲間というキーワードを聞いて、同じように食べられなくなってしまう方もいらっしゃるようです。では、両者本当に同じ種類なのでしょうか?生物学上の分類を見てみましょう。

蜘蛛は、節足動物門‐鋏角亜門(きょうかくあもん)‐クモ網。蟹は、節足動物門‐甲殻亜門(甲殻類)‐エビ網。生物学上ではこのようになっています。大きな分類で見た時に、節足動物としては同じくくりですが、亜門の分類からカニは甲殻類、蜘蛛は鋏角亜門と異なっています。これは、「哺乳類と魚類は同じ脊椎動物だ」というくらいのイメージですね。つまり、両者は近い仲間とは言いにくいです。

蜘蛛の鋏角亜門の「鋏角」とは、鋭く付きだした独特の形状の口のことで、頭部に触角がない、5対の脚、頭部が体と同じパーツにあるなど、いくつかの体の特徴による分類です。さらに、鋏角亜門の下の分類にはウミグモ網、カブトガニ網、クモ網があります。

ここで気づいた方もいらっしゃるでしょうが、カブトガニ網、つまり、生きた化石で知られるカブトガニは節足動物門‐鋏角亜門‐カブトガニ網に分類され、「カニ」とついてはいますが、蟹よりも蜘蛛に近いというわけです。ちなみに、日本で知られる主な蟹の、エビ網以下の分類は以下のようになっています。

タラバガニ(ヤドカリ):エビ目‐ヤドカリ下目‐タラバガニ科
ケガニ(蟹):エビ目‐カニ下目‐クリガニ科
ズワイガニ(蟹):エビ目‐カニ下目‐ケセンガニ科

出典:https://www.nanovipava.com/kanihistory.html

https://www.tfm.co.jp/garage/detail.php?id=189