SUSHI TIMES

美食を牽引したロブションさん 名寿司職人がうなった鼻

フランス料理シェフのジョエル・ロブションさんが8月6日亡くなった。
何かを始めるたび料理の世界に衝撃が広がる。シェフに創造性が求められ、美食がグローバル化していく時代を牽引し、後に続く多くの人材を生んだ。

東京にも飲食店展開

最初の衝撃は1981年、36歳でパリ16区に開いた「ジャマン」。古典を下敷きに、盛り付けも新しく精緻な料理を繰り出し、わずか3年でミシュラン三つ星の名店にした。

鮮度を重視してその日使う分の材料しか仕入れない。口に入れた時、誰でも同じ味わいになるよう野菜の切り方にミリ単位の決まりがある。「完璧な料理のために、働く側は生き地獄でした」と修業先として2年半働いた河野透さん(60)は言う。

「できた皿を前に『誰が作った』と問われて緊張が走る。やり直しの指示か、『セ・トレ・ボン』とほめるか。上をめざす気持ちを持たせる技だ、と自分がシェフになって気づいた」

絶頂期の51歳での引退宣言という衝撃。一線から降り、仲間と世界の13都市でレストランを展開する。シェフの動きを見ながら、洗練された料理を楽しむカウンター形式の店は、大好きな日本から着想を得た。

「大統領よりあの人の方が気を使うね」。30年以上交流したすし店「すきやばし次郎」の小野二郎さん(92)はそう話す。「鼻でなんでもわかっちゃう」

タコをにぎって出せば、「伊勢エビの香り」という。繊維をほぐすよう1時間かけてもんだタコの、ゆでたてが持つ格別な香りで、他に気づく客はいなかった。「見えない努力を見逃さないから、次に来るまでに、もっと伸びようって思える。おいしいものが、本当に好きだったんでしょうね」(編集委員・長沢美津子)

出典:朝日新聞デジタル