正しい店とのつきあい方。~鮨屋について その2~ | SUSHI TIMES

正しい店とのつきあい方。~鮨屋について その2~

店や街とのつきあい方がわからない人が増えている。初めてなのに常連と同じように扱われないと怒る人や金さえ払えば何でもしてくれると思う人。お客様は神様、などではない。客としてのあり方を街と店に深い考察を持つ江弘毅氏が語る。

「正しい店とのつきあい方。~鮨屋について その1」はこちら

Summary

・ただ「旨い」だけの鮨屋のこと
・鮨の歴史
・箸で食べるか手で食べるか
・100年以上の歴史を持つ名門

朝7時に七十歳で現役の店主が三升の米を研いで、「洗い米」四段重ねにしておき、「仕掛ける」時間も計算しながら、「さあ仕事や」と庖丁を研ぎ料理道具を磨き直す。おじいの店主は夜早く「上がる」からだ。そのうちに四十過ぎの息子が市場や魚屋から帰ってきて、「今日は、何買うてきたんや」と言いながら、仕入れた魚を一緒に捌き出す。同時に赤だし用に昆布と鰹でだしを引く。昼には勤め人用に安価なネタの鮨と巻き寿司に赤だしを売って、夜は近所の旦那に刺身を切り、鮨を握って酒を商う。
 
これは以前、とある雑誌にわたしが書いた、大阪の下町の鮨屋の記事だ。
わたしにとって良い鮨屋とは、のひとつとして、その店の鮨屋としての実生活が垣間見え、そこに前回書いた「感覚的なもの」を感じるかどうかだ。

東京の鮨の旨さと現実

東京の鮨については、こっちよりもうまいと思っている。
酒を飲む場合など、あの辛口の鮨飯はずっとうまいなあなどと心底そう思っている。
だから関西にいながら、前回の「鮨ふみ」のような東京系の鮨屋が好きだ(無いものねだりというわけではないが)。

そう思っているのだが、10年以上も前、神楽坂の鮨屋に東京の先輩編集者に連れて行ってもらったことがある。

その鮨屋は外観からして「正統派」という感じで、席に案内されると客はだれも背筋の伸びたような感じ良さそうな人ばかりだった。先輩は和菓子屋の店主みたいな風貌の鮨職人に「大阪からの客だ」と紹介した。

「お任せ」の店である。
わたしはガラスケースを見てネタを指さして「イカの耳と鯛の背中」などと注文する店ばかりで育ってきたので、客がお任せで注文する鮨屋には滅多に行かない。

イカとトロが出てきた。さすがにいつもの大阪や神戸の店と違って、鮨のかたちが細長く「しゅーっと」していて洒落ている。
剣先イカの身の張り具合も中トロの脂の入り方のグラデーションも、一目で見て絶品だとわかる。
食べた。実にうまい。
わたしは「トロうまいですね。さすがに本場・東京のマグロはちゃいますね」と素直に誉めた。
それを聞いた職人は、わたしに「フン」という感じで「青森、大間産です」と言った。
 
わたしは「そうですか。これが噂の大間産ですか。やっぱり最高すね」と言った。というのは大嘘で、腹が立って「すまんのお知らんで。オレは岸和田産の男やど」などと、胸に隠したコルト45口径に手を伸ばそうとしたけれど、先輩の顔を立ててやめておいた。
それからそこの鮨はうまいだけのものになった。
客は女性を含めて全員鮨を手で食べていて、箸を使って食べていたのはわたしだけである。
わたしは鮨はもちろんバッテラや箱寿司を含め、海苔で巻いた寿司以外、手で食べる経験がなかったのである。

けれども東京の鮨屋はいろんな店に連れて行ってもらったが、やっぱり良いと思う。とくにおでんの「大多福」にも連れて行ってもらった浅草の住人・桃知利男の行きつけの「町内」の店は、これは京大阪では絶対ない鯔背で陽気で、親切で綺麗な店だ。客が板前を変に有り難がったり、店が客にやたらへりくだるというようなことはない。代わりに客同士あるいは店と客の長幼先輩後輩関係というか縦のラインがぴしっと利いていて、祭の時の詰所で飲み食いする感じに似ていて心地よい。またそういう空間と鮨という食べ物は、やはり江戸っ子弁が似合う。
このようにこと鮨に関しては、新しい店に行くにはその馴染み客に連れて行ってもらうに限る。そしてこのように町内会の店に連れて行ってもらうのがベストだ。「そんな知り合いいないよ」と言う人は、「知っている人」を探すべきだ。でないと一生うまい鮨は食べられないと思った方が良い。残念だけれど。
業界人とくにグルメライター系の人と一緒に行って、「良い店だ」「うまい鮨屋だ」と思ったことがないのは、そんなわたしのいささか激しすぎる思い込みもあるのだろうが、あっちこっち鮨屋を食べ歩いてもろくなものが食えないというのは、やはり真実であると思う。

これは『飲み食い世界一の大阪』(ミシマ社/2013年)で「鮨屋の育ち。」というタイトルで書いたものだ。

後半の浅草の住人にいつも連れて行ってもらっている、彼流の「鮨は近所のがいちばんうまい(が結構高い)」店(=浅草3丁目の「すし処 清司」)に久しぶりに行った時に、客がいないのを良いことに彼がこれを朗読して、その店のこの道何十年の鮨職人の大将を「いいねえ」とにっこりさせた。

そしてさらに著者であるわたしが「ちゃうちゃう、イントネーションが違う」と大阪弁で読んで、映画「昭和任侠伝」に出てくる高倉健さんの角刈りの髪型を少し短くした息子の(?)板前さんの笑いをとった。
握る手を止めて「おもしろくてしょうがないね」と爆笑させたネタだ。

補足すると、鮨屋はネタを誉められると
「そうなんです。いつも入れてる魚屋が良いものを目利きしてくれるんです。ありがたいことで」
というのでないとダメだと思う。マグロなどは切って握るだけなのだから、「大間産で」とハナから自慢げに宣言するのは鮨屋の職人のやることではないと思う。
感謝すべきはそのマグロを捕ってさらにうまく締めた漁師だし、その後の流通で、最後は地元の仕入れのネットワークこそすべてなのだから。

箸で鮨を食べる理由

また箸で鮨を食べることについては、「やっぱり手で握ったものは、手で食べるものでしょう」と江戸っ子の先輩に口を揃えて言われたことがある。
確かにそうだが、わたしの場合はちょっと違う。

わたしは大阪の旧い城下町・岸和田の商店街で生まれ育ったが、その小さな商店街の一筋と二筋向こうの通りには職人さんがたくさん住んでいた。
大工、左官、ブリキ屋、畳屋。染物屋もあったな。また鋸(のこぎり)の目立て屋やかれらの道具を直す金物屋もあった。

職人たちはその商店街近辺に三軒ある、スタイルも出す鮨も値段も違う鮨屋の常連だったが、鮨をいつも箸で食っていた。
手を汚すのが仕事だからだ。よく洗ってもなかなか落ちない砥の粉や木くずや土や油や染料をナマの魚やシャリに付けたくないからだ。だからそれら店では他所の人以外、手で食べているのを見たことがない。 
下町といってもそれぞれであり日本は広い。ゆえに鮨屋もそれぞれだ。一元的にとらえるのが間違っている。

大正時代からの江戸前

その一つの例として「福喜鮨」という大阪の名店のことを書く。
前回の「鮨ふみ」の平谷史郎さんの出身の店でもある。

そもそも大阪(と京都)は文政末(1830)頃までは、『守貞謾稿』に「京坂にては、方寸ばかりの押しずしのみ」とあるように、「にぎり鮨」はなかった。

日本においての「すし」の歴史を一変した「握りずし」の革命が大阪にも及んだのはずっと後の話で、篠田統の『すしの本』(岩波現代文庫)には、鮨職人で碩学だった『蛸竹』(天保二年創業の大阪・松屋町すしの老舗)の主「阿部直吉老人聞き書(抄)」による「日清戦争の前後」の大阪のすし事情が書いてある。
 
東京風の握りずしは、明治15年頃から江戸を脱出してきた鮨職人たちもいて、数軒の店で売り出したのだがあまり売れない。
「とうとうだれもが握りに見切りをつけ(略)後年『福喜』が来るまで握り専門で通してきたのは大江橋そばの『大江ずし』だけでした。
『福喜』がマグロの握りで売り出したのは震災(大正十二年)直前です。まもなく東京の人がどっと流れ込んだので(需要急増)で大いに当てました。(略)流行はえらいもんです。一時はマグロがかすれてタイよりも高くなったことがあります」
 
これが「福喜鮨」にほかならない。
この大阪の老舗鮨店は「元東京柳ばし」と看板に肩書きがあるように、東京は両国、柳橋検番前に明治四十三年(1910)開店している。
創業者の山本喜五郎氏は10歳で故郷福井を出て、路銭を稼ぎながら徒歩で三年かけて東京に来た。まさに明治の男である。しかし10歳といえばまだ小児ではないか。
名門「鳴門寿司」で修業し、上野で屋台を出すなどしたあと、出身地・福井の「福」と名前・喜五郎「喜」を取って「福喜鮨」を開店した。

その六年後の大正五年(1916)にいろいろあって、大阪の南地に移転。
「江戸前ずし」という名前すらなく、マグロも鮨ネタになっていない時代に、大阪で最高のにぎり鮨を東京流の職人技で出した。
高松宮殿下やその頃奈良に住んでいた志賀直哉もよく通ったこの店には、はるばる東京から修業に来る者もいたという。

ゆうに百年を超える歴史を持つ「福喜鮨」は、三代目の山本寛治さんが南地日本橋の本店で鮨をにぎっているが、うめだ阪急と髙島屋に出店を出している。

もちろん私見であるが、大阪を生活の場所にしているわたしにとっては、ここの鮨が世界一だと思っている。
本店よりもリラックスな感じのうめだ阪急の店へはよく行っている。本店のにぎり用のシャリ(チラシ、押し寿司とシャリを替えているそうだ)はものすごく辛いのが特徴で、とてもとても酒が進む。
阪急の店のシャリは本店よりも辛くなくアレンジされているようだが、ここ数年店の職人たちと懇意になって阪急店の方がおいしくなってきた。

好物は鯛で、黒門市場などでいろいろと話を聞いていると、「福喜鮨」でその日の鯛がおいしくなかったら、大阪中どこで食べてもその日の鯛はダメだろうとのこと。関西に鯛の名産地は明石、鳴門、加太、淡路といろいろあり、「やっぱり潮流の早い明石だ」「大阪湾に入る加太のが一番」などと言われたりするが、鯛を「食べる」ということなら本場中の本場だと思う。
冬はブリ。今年もそろそろだ。そして大阪の鮨屋ではあまり食べられないワサビ入りの干瓢巻きも必ず食べる(ハーフサイズで注文する場合もあり)。

余談だが、ここの職人は全員、しばしば昔ながらの「本手返し」で鮨をにぎる。
手品のように右、左、右、左と渡し替えながらにぎる伝統的な作法だが、ここの職人はその間「捨てシャリ」を2度ほどする。右手の指で素早くシャリ玉をほんの数粒ほどちぎるのだが、それをシャリ櫃の木桶を叩いて落とす。
その際ポンという音がして、なんとも男前で鯔背でカッコいいとわたしは思うし、これがないと「福喜鮨」と違うと思う。

世のグルメや通たちのなかには顔をしかめて「捨てシャリなんてもってのほか」ということを言う人も多いが、わたしはそういう人とは鮨をいっしょに食べたくない。
話が最初に戻るようだが、これも感覚的なもので、鮨屋は自分に「合う/合わない」なのだ。

「福喜鮨」の使っている庖丁やその技術は、拙著『有次と庖丁』をお読みいただくとして、基本的にこの店のサービスも良い意味での「水商売的」なところがある。
わたしはこの店で刺身は全く食べない代わりに、必ず赤だしを注文するが、いつも鯛の頭の目玉入りを所望して、いつもそれ店側が応えてくれている。
そういうことだけでなく、ここの板前さんと世間話をするのが楽しくて、それが余計に通わせることになる(高くて微妙だが)。

鯛やマグロ、アワビが○×産、米が◇×村の日本晴れ、とかいうのじゃなくて、ここの鮨と他店のそれとは何が違うのかというと、自分の好みで言及するしかないのだ。

<予算>
2万円ぐらい(アワビやトロを連発すると当然高い)。

福喜鮨 阪急うめだ本店
〒530-8350大阪府大阪市北区角田町8-7 阪急うめだ本店13F
06-6313-1541
11:00~21:00 不定休(阪急うめだ本店に準じる)

※江弘毅さんのスペシャルな記事『いい店にめぐり逢うために知っておきたいこと』はこちら