SUSHI TIMES

ミャンマー難民がカリフォルニアでスシ長者に!|巻きずし1本でアメリカンドリームをかなえた移民たち(前編)

米国のスーパーマーケットの寿司コーナーでカリフォルニアロールを実演販売しているのは、日本人ではない。ミャンマーから逃れてきた少数民族たちだ!
フランチャイズや徒弟制度で事業を拡大。巻きずしで財を築くミャンマー人移民コミュニティに迫る。

ミャンマー難民のガム・アウン(38)は、3年前に米国へやって来るまで「寿司」という言葉さえ知らなかった。それがいまでは、「びっくりドラゴン巻き」や「マンゴー・タンゴ巻き」といった新商品を考案して、その年商は数十万ドルに達する。アウンは高校を卒業していないし、英語もまだつたない。だが、この2年の間に、スーパーマーケット内で営業する寿司店を1店舗から3店舗に増やし、貯めた金で70万ドルの家を買い、同胞のミャンマー人10人を自分のような寿司職人に育て上げた。

「アメリカンドリームがかないました」

アウンは南カリフォルニアのオーシャンサイドにあるスーパーで寿司を売りながらそう語った。米国には昔から、移民コミュニティが何らかの商売を独占して、自分たちの同胞を雇い入れ、中流階級へのし上がっていく伝統みたいなものがある。たとえば、ギリシャ人が経営する食堂、中国人のクリーニング店、ベトナム人のネイルサロンなどだ。

そうしたなか、「ミャンマー人と寿司」なんてミスマッチに聞こえるかもしれない。だが米国のスーパー内の寿司コーナーでカリフォルニア巻きを作っているのは、ほとんどの場合、日本人ではない。多くはミャンマーから来た難民たちだ。ミャンマーはかつてビルマと呼ばれていた東南アジアの国で、昔から宗教対立などによって、さまざまな少数民族が難民となっている。チン族、カチン族、カレン族、最近ではロヒンギャ族がそうである。

アウンはカチン族の出身だ。アウンのように、近年、数万人のミャンマー難民が米国に定住するようになった。そして、ミャンマー料理とは縁の薄い寿司が、難民たちの生計の糧となっている。

最初は日系移民の企業に入社

「移民のひとりが大成功を収め、それが突破口となって、ほかの多くの移民たちのチャンスが生まれることがあります」そう語るのは、ニューヨークにある財政政策研究所で移民の起業について研究しているデビッド・ディッシーガード・カリックだ。寿司業界で働くアウンのようなミャンマー移民たちにとって、最初に突破口を切り開いてくれたのは、フィリップ・マウンという男である。

マウンは1989年、22歳のときに大きな野心だけをもって米国へやって来た。不動産業で一山当てたいという夢を抱いていたが、90年代初めの景気後退で挫折。そこで、マウンは日系移民が南カリフォルニアで興したアドバンスト・フレッシュ・コンセプツ社に入った。同社はスーパーマーケットと寿司を結びつけた新しい事業を展開していた。仕組みはこうだ。スーパー側が陳列ケースと冷蔵庫と倉庫スペースを提供。一方の会社側は、原材料を調達し職人を派遣して、その場で寿司を作ってみせる。マウンは同社の店舗で数年間、店長として働いた後に独立し、未開拓の市場に賭けた。1998年、ノースカロライナ州シャーロットで「ヒッショー・スシ」を立ち上げたのだ。

シャーロットは金融街であるため、マウンは融資が受けられるものと考えていた。だが、日本語で必勝を意味するヒッショーは楽勝とは行かなかった。

後編に続く
出典:COURIEER JAPON