SUSHI TIMES

妥協を許さない繊細な技と心。京都祇園で花開いた、硬派な江戸前の職人気質 / 鮨 まつもと 松本 大典

京都の花街「花見小路」から一本入った路地に佇む「鮨 まつもと」。東京・新橋の「新ばし しみづ」で腕を磨いた松本大典氏の握る鮨は、正統派江戸前の伝統の技が随所に光り、まるで宝石のような美しさだ。京都に江戸前鮨の文化を根付かせた立役者・松本氏に、修業時代のお話や鮨職人という仕事に対する思いを伺った。

インタビューのポイント

Point1. 同じ年の銀座の鮨職人との出会いが、厳しい道へ進むきっかけに。
Point2. 不思議な縁に導かれるようにたどり着いた、京都の花街。
Point3. 修業時代に師匠の背中から学んだ、仕事に対するストイックな心。

カッコよさに憧れて決めた「鮨職人」の道。

この道に入られたきっかけはどのようなものでしたか?
松本氏:
僕が幼少を過ごした場所は、神奈川県の平塚という海のそば。遊びも釣りくらいしかなくて、釣った魚を捌いて食べたりしていました。そして僕の親父は「地魚居酒屋」のような店を、親戚の叔父は鮨屋を営んでいましたので、小さい頃から飲食業はとても身近でした。

高校は勉強が好きでなかったこともあり、すぐに辞めてしまって。当時はまだ16歳で、強い思いで鮨職人の道に入ったわけではないのですが、叔父の営む鮨屋で働くことにしたのです。ずっと「職人」と呼ばれる仕事に憧れがありましたし、鮨は「料理人」とは呼ばすに、「鮨職人」と呼ばれます。ひとつのことを突き詰めていくのがカッコイイなと。

修業生活はいかがでしたか?
松本氏:
叔父の営む店は出前もあったりする、いわゆる地元の鮨屋でした。親戚の店ですし、将来はこの店を継いでいくのかなーとぼんやり考えていましたが、まだ将来に対するビジョンは曖昧でした。ただ本当に鮨が好きでしたから、給料が入ると銀座の有名店に鮨を食べに行き、一流に触れる機会を作っていました。

そんな時、銀座の「青木」で修業をしていた同い年の鮨職人と仲良くなって。彼に「鮨職人を本気で目指すなら、東京の店で修業をするべき」と助言され、きちんと修業し技を磨きたいという気持ちになったのです。
彼とは今でも付き合いがあるのですが、その後「青木」で二番手になり、現在は独立して横浜の「はま田」という鮨屋を営んでいます。

必死になって磨いた、鮨職人としての技と心。

素晴らしい友人との出会いがあったのですね。その後はどのように修業されたのでしょうか?
松本氏:
その時すでに結婚し子供もいたのですが、妻に相談したところ「修業してきたら」と言ってもらえて。地元に妻と子供を残し、単身東京で修業することになりました。
最初に修業に入ったのは求人誌で募集していた銀座の鮨屋で、思っていたより組織化されていて。修業というより就職に近い感じで、少し物足りなく感じていました。
そんな折、食べ歩きで訪れた新橋にある「新ばし しみづ」の清水邦浩氏と出会い、縁あって修業に入らせてもらうことになりました。この師匠との出会いが大きな転機となりました。

「新ばし しみづ」での修業は違っていましたか?
松本氏:
仕事の繊細さが全然違いました。「新ばし しみづ」では仕込みにとても時間をかけますから、時間も長く厳しい毎日でしたが「新ばし しみづ」の鮨に惚れ込んでいましたので充実していました。師匠のことを尊敬し、信じていましたから、「ついていけば間違いない」という気持ちでした。

修業中は、技術はもちろん、店の経営のことなど、独立のことが頭にありましたから師匠のやっているのを見てすべてを学ぶようにしていました。
築地で他の職人に会っても「あいつらには絶対に負けない」という気持ちでいましたし、やればやるほど手ごたえや自信も生まれてきます。また鮨は素材が命ですが、築地の連中とも信頼関係が築けるようになっていました。今は京都にいますから築地に毎日は行けませんが、仕入れは今もほぼ築地から。その頃に築いた信頼関係があるからこそやっていける。そうして培った関係は本物の財産だと思います。

独立されたきっかけなどはどのようなものでしたか?
松本氏:
「新ばし しみづ」での修業生活は5年ほど。あと2~3年いれば、もう少し最初からうまくいっていたかなと思うこともありますが、タイミングが来るのをぼんやり待っていてはなかなか独立できないと思います。僕の場合は師匠が31歳で独立したので、僕も同じく31歳で、と決めて動きました。

それで東京で独立するつもりで銀座や麻布をいろいろ探したのですが、なかなか思う様な場所が無かったんですよ。
師匠に独立することを認めてもらい、店で働きながら探していたのですが、店に来ていた大阪のお客様から「京都にいい場所があるよ」と紹介してもらえることになったんです。

京都で店をやるなんて考えていませんでしたが、「面白いかもしれない」と夜行バスに飛び乗り、店を見に行くことにしました。その店は祇園だったのですが、京都の街並みの風情に完全にやられちゃいましたね(笑)。
ただその店は、色々と規制が厳しくダメになってしまい…、諦めて東京へ帰るバス停で、偶然にも店を紹介してくれた方とバッタリ再会したのです。
その方が新しく紹介してくださった場所がこの店です。京都のこのような場所は、普通はなかなか貸してもらえないと思うのですが、その方は京都に色々ツテのある方で、本当にラッキーだったと思います。

京都で偶然会うなんてまるでドラマのような展開ですね!
知らない場所で出店することに不安は無かったですか?
松本氏:
親戚や知り合いの全員に反対されました(笑)。今思えば、何の縁もない京都でよくオープンしたなと。

花街の文化も知らないし、舞妓さんを見たことも無かったのですから…。オープン当時は31歳で、京都の独特の雰囲気に完全にのまれていましたね。

オープンしてからはいかがでしたか?
松本氏:
僕の師匠はその筋で有名な方でしたのでメディアにも取り上げてもらえて…店は順調に軌道に乗りました。僕は都会があまり好きじゃなくて、東京も大阪もちょっと都会すぎるかなと思っていましたので、環境的に京都はすごく良かったです。

正統派・江戸前鮨の文化を受け継ぎ守るということ。

鮨職人と料理人とで、何か違うと思われる部分はありますか?
松本氏:
今、僕がやっている仕事はほぼ「新ばし しみづ」で師匠に教えられた通りの仕事です。そして、「新ばし しみづ」は、1866年創業の浅草「美家古鮨」の流れを汲む「鶴八」の系譜にある鮨店ですから、その根底にずっと流れるのは正統派の江戸前の仕事。
ですから僕は「鮨職人」として、自分の個性を前面に強く押し出すのでなく、連綿と続いてきた伝統的な古典の技をしっかり感じてもらえる仕事がしたいと思っていますし、それが「鮨職人」としての仕事だと思います。

「鮨 ほしやま」の星山忠史氏はお弟子さんですが、星山さんも「鮨 まつもと」で学んだ仕事をそのまま受け継いだとおっしゃっていました。
松本氏:
星山が修業に来たのは店をはじめて2年くらい経ったころでした。弟子は今までに6~7人いますが、独立したのは星山だけです。来たときからこいつは気合が入ってるなと感じましたね。
彼は「俺が」という強い気持ちをもっていましたので、独立できたのだと思います。「俺が」という個を打ち出す強い気持ちと、謙虚に教わる気持ち…独立する為にはその二つが揃うことが必要だと思います。

独立して、もちろん繁盛することができればですが、普通のサラリーマン以上にお金も稼ぐことができるようにもなります。うちで修業してしっかりものになれば、稼げる鮨職人にさせられる自負はあります。
頑張った分、それに見合うお金を稼げるようになるはずです。一度得た技術は誰にも盗られません。
鮨職人の仕事はとても誇れる仕事ですし、お客さんを前に鮨を握れるのはすごく気持ちいいですよ。

一切の手抜きなく仕込みする師匠の背中に教えられて。

鮨職人として、ひとつひとつの仕事を妥協なくやり続ける厳しい気持ちはどのように保たれているのでしょうか?
松本氏:
仕込みは毎日大変ですが、手を抜いて恥はかきたくないし、仕事を絶対にきっちりしたい。それは師匠の清水さんが、一切の手抜きなく、毎日仕込みする背中で教えてくれました。
ダメな仕事は絶対にダメだと言われたし、職人としての姿勢や心持ちを師匠が体現し、教えてくれたから、僕も同じようにやらないと気が済まないですね。
少しくらい簡略化してもお客様にはわからないのかもしれませんが、だからといって手を抜こうとはならないです。
お客様にばれるとか、ばれないとかそんなことは関係なく、手抜きすることが自分自身で気持ち悪い。
またお客様の中には、ちょっとした仕事の手抜きや気持ちの甘さを見抜く方がいらっしゃいます。その時の恥ずかしさったらないですから(笑)…いつでもどんな方の前でも、常に自分のベストを尽くしたいし、恥ずかしくない自分でいたいのです。

今後の夢などはありますか?
松本氏:
そうですねぇ。夢というわけではなく、いまのこの場所も気に入っていますし、お客さんにも大事にしてもらっていますから、すぐにどうこうというわけでもないんですが、イメージとして老後に鎌倉の小高い丘に小さな一戸建てを買ってお店を開けたらいいなと思っています。漠然となんですけどね。

素敵ですね!こちらのお店を見つけられたときのように、トントン拍子に進む時がくるかもしれないですよね。
最後に鮨職人を目指す若い方へのメッセージをお願いします。

松本氏:
味覚も技術もやり続ければ誰でもいずれは身に付きますが、修業で違ってくるのが、仕事に対する心のあり方です。
いまでは様々な事が手軽に、簡単に得られることがよい。という風潮があるように思いますが、簡単に得られるものにそこまでの価値があるとは思いません。
修業中はたしかに辛いかもしれませんが、鮨職人としての人生全体で考えれば、僅かな期間でしかありません。
自分がどうしたいのか、どうなりたいのかしっかり見定め、それが鮨職人の道であるなら自信を持って迷うことなく力強く歩んで欲しいと思います。

(聞き手:市原孝志 文:池側恵子 写真:逢坂憲吾)

編集後記
竹を割ったような硬派な語り口が印象的な松本氏。「面白いことは何も言えないよ!」と関東地方の軽快なアクセントで語られるエピソードはどれも率直でストレート。「師匠から学んだことを、ただ手を抜かずやり続けるだけ。特別なことは何もしていない」と語る松本氏。多くを語らないそのストイックな佇まいに、「江戸前の鮨職人」としての心意気と色気がひしひしと感じられた。

出典:Foodion