SUSHI TIMES

二郎は鮨の夢を見て、二郎の弟子はアメリカンドリームを見る|銀座からトランプホテルへの「出世」街道(前編)

「すしの神様」といわれる名匠・小野二郎のもとを離れ、30代半ばにしてニューヨークで大成功を収めた中澤大祐。築地の病院食堂でスパゲティを作っていた若者が、米国随一のスターシェフと騒がれる存在になった背景を、米紙がたどる。人生、何が起こるかわからない!

「ナカザワ」は上流階級の噂の的

土曜日の午後、1人のすし職人がワシントンDCのナショナルギャラリーでナポレオンの肖像画を見つめていた。白いベストに白いズボン姿のフランス皇帝はまるで料理人みたいだ、と冗談を言った。

その笑い声が大きすぎたせいか、ダラスから来ていた26歳の観光客がすし職人のほうを見やった。かすかな期待を胸に駆け寄ってくると、頭を下げ、尊敬の念と興奮を隠せない様子で尋ねた。

「失礼ですが、ナカザワさんですか?」

「ナカザワ」という名前は、噂好きなワシントンの中上流階級のあいだでは、2016年から飛び交っていた。ペンシルベニア通りにある旧郵便局館、つまり「トランプ・インターナショナル・ホテル」に「ナカザワ」の名前を冠したすし店がオープンするからだ。

2015年、このホテルで出店を予定していたスペイン出身の有名シェフ、ホセ・アンドレスが、出店を取りやめた。大統領選挙のキャンペーンを開始したドナルド・トランプが、メキシコ人移民を「麻薬密売人」「レイプ犯」と非難したためだ。アンドレスの店の代わりにステーキハウスの「BLTプライム」が入ることになったが、このホテルに出店するレストランは、トランプによる中傷発言を容認しているとみなされるリスクがあった。

つまり、ニューヨークの「スシ・ナカザワ」の共同経営者であるアレッサンドロ・ボルゴニョーネがこのホテルに新店を出すことを決めたときには、すでに不利な状況ができあがっていたということだ。

しかし、自信家で大口をたたくニューヨーカーとして、またトランプ支持を公言することで知られるボルゴニョーネは、自分への批判をあえて和らげようとはしなかった。

たとえば「ニューヨーク」誌のインタビューでは、ワシントンを「肉とジャガイモの街」呼ばわりして、ワシントンの食通たちから一斉に批判を浴びた。ハイエンドの男性誌「エスクァイア」に、「アレッサンドロ・ボルゴニョーネは米国で最も嫌われているレストラン経営者か?」と題した記事が大きく掲載されたこともある。

人気シェフでテレビ司会者のアンソニー・ボーディンは、グルメ情報サイト「イーター」で、ボルゴニョーネをこうこき下ろした。

「彼のレストランに行くことは決してない。彼のことは完全に軽蔑している。無条件かつ断固たる軽蔑だ」

だが9ヵ月後、ボーディンはこの発言を一時的に撤回したようだ。2017年8月、ボーディンの秘書のローリー・ウォリーヴァーが、ボルゴニョーネの「スシ・ナカザワ」にメールをよこしたのだ。8月20日夜8時、ディナー2名の予約待ちの順番を繰り上げてほしいとの依頼だった。

ウォリーヴァーによると、「スシ・ナカザワ」から予約確認の連絡があったが、その後、彼女が間違いに気づいて予約をキャンセルしたという。証拠としてそのときのメールも提示した。対するボルゴニョーネ側も、証拠メールを見せて反論する。ウォリーヴァーの依頼に対して「残念だが、それはできない」と返信したという。

テッド・クルツ上院議員や女優のアン・ハサウェイが同様の依頼をしてきたときも、同じように返信したらしい。ボルゴニョーネは争いを好むが、彼の傷の多くは自ら招いたものと思われる。

2017年は、ボルゴニョーネにとってスキャンダル続きの年だった。その年の最後を締めくくったのは、「スシ・ナカザワ」が従業員に最低賃金を払わず、チップを不当に取り扱ったとする集団提訴だった。

それでも開店間近のワシントンの新店は、「ヴォーグ」誌の「米国で今年、最も期待されるレストラン」にランクインを果たした。経営者はボルゴニョーネで、場所はトランプホテルという逆風のなかでの快挙だ。

それほど「ナカザワ」の魅力は揺るぎないということだ。

「日本国外で最高のすし職人」

トランプやボルゴニョーネをめぐるあらゆる喧噪はさておき、39歳の中澤大祐は、のんびりと穏やかな口調で話すものの、鋭い知性を備えた人物といえる。彼は、2011年にカルト的ドキュメンタリー映画『二郎は鮨の夢を見る』が公開されて以来、すし愛好家のあいだで神格化されているミシュラン3つ星の鮨職人、小野二郎の弟子だった。

中澤はさまざまなランキングで、「米国最高のすし職人」そして「日本国外で最高のすし職人」と評価されている。シアトルとニューヨークを経てワシントンに進出しようとしている彼にとって、米国は第2の故郷。その国で、魚料理を根本から再構築するという自らの目標を追求しながら、静かに、巧みに、そして大胆に、逆風のなかを進んでいる。

米国で最高のすし店を持つことは、中澤にとって最初のステップに過ぎない。彼が目指しているのは、米国における魚料理の調理や消費のありかたに、日本の感性を持ち込むことだ。

ナショナルギャラリーに話を戻そう。中澤はダラスから来た観光客、タハ・リズヴィとともにカメラの前で「スシーーー」と言いながらポーズを取っていた。リズヴィは心からの感謝と称賛を口にしつつ、ニューヨークの中澤の店で予約を取ろうと2年間頑張ったが、結局取れなかったと訴えた。

「スシ・ナカザワ」は2013年にオープンして以来、常に予約で満席の状態だ。リズヴィはワシントンに新たな店がオープンすると聞いて喜んだ。

「予約が取れるチャンスが2倍になるのが待ち遠しいわ」

リズヴィが去ると、中澤はゴッホの作品へと一直線に進んだ。そして通訳を介し、ナショナルギャラリーで眼前に広がる作品と、自分のキャリアとの関連について話しはじめた。

「この絵は同じバラを撮った写真よりもはるかにいいですね」

ゴッホの絵画について、こう評した。

「この絵には感情があります。ゴッホが感じたものを見る人が感じ取れます。自分の作品に感情を持ち込まないなら、つまり自分の作品を通して人と感情を共有しないのなら、何も成したとはいえない。作品を創造した意味がありません」

コールダーの作品については、こんなふうに話す。

「芸術とはまさにこういうものです。ひそかに動いていて、見る人の目の前で変化し、見ていなくても背後で変化している」

続いてポロックの作品について。

「近づきすぎたり、一部だけを見ていたりすると、混沌としています。しかし、一歩下がるとその混沌が意味をもたらすものであることに気づきます。その意味とは『自由』かもしれません」

そして、東館のロビーにあるイサム・ノグチの彫刻についてもコメントした。

「魚に仕事の足跡を残してみたいですね。ノグチが石に残したように」

後編へ続く

出典:COURRIER JAPON