つぶれかかったからこそ生まれた、奇跡の熟成鮨(後編) | SUSHI TIMES

つぶれかかったからこそ生まれた、奇跡の熟成鮨(後編)

食のプロをうならせた熟成鮨という世界を最初に生み出し、ミシュラン5年連続で2つ星を獲得している鮨店、東京・二子玉川の㐂邑。店主の木村康司さんがこの店を作ったのは2005年。しかし、普通の鮨店としてスタートした当時の㐂邑は、3年目に閑古鳥が鳴く店になってしまいます。

武器がないと、わざわざ来てもらえる店にはならない。その武器として選んだのが、こだわりの白身。そして閑古鳥が鳴く中、その白身を腐って捨てなければならなかった日々が、㐂邑の転機を生み出します。その傷みのメカニズムを自ら実験していったのです。そして、熟成の最大のポイントに気が付くことになります。

前編からの続き)

「傷んで匂いを出すのは、中に残っている血と水分だったんです。これを置いておくと傷みが始まって匂いを出すんです」

てんぷらの名店「美かさ」で修業をしたとき、てんぷらの仕込みでは、魚は水を使わなかった。一方で鮨は「水商売」。水をどうしても使います。しかし、この水にこそ問題があったことを突き止めるのです。

「そこで、血抜きの勉強をするようになりました。さらに塩を芯まで入れて傷まないようにしたり。でも、そうすると今度は塩抜きが必要になる」

そしてここで生きたのは、昔ながらの料理人のワザでした。

自分の目利きを信じていい魚を入れる
「カズノコを作るとき、塩で漬けたカズノコは塩水で戻すんです。後でこれは浸透圧の原理だったことを知るんですが、要するに塩は塩で抜けるということなんですね。そこに気がついて、熟成させる温度帯を変え、塩の濃度を変え、いろんな組み合わせでひたすら実験していたら、うまくいくポイントがわかったんです。魚が腐らず、ちょっと旨みが伸びていくような魚ができ出した」

メディア露出を拒否したこともあり、店は暇になってしまった。しかし、こういうときにこそ、店主の行動が問われます。人のせいにしたり、場所のせいにしたり、お客さんのせいにしたり、外に理由を求めてしまう人は少なくない。しかし、木村さんはそれを一切しなかった。自分に何ができるのか、それだけを考えた。そして、空いた時間を使って実験を続けていったのです。

「あまりに暇過ぎて、美かさの大将に相談しに行ったことがあったんです。そうしたら、じゃあもうつぶしたらいい。ただ、つぶすんであれば、今お前が気づいた、魚は寝かしてうまい、というのを究極までやれ、と言ってもらえて。その一言で、本当に吹っ切れたんです」

もし失敗したとしても、鮨職人は世界で引く手あまたになっている。最悪の場合は、どこかで雇ってもらえばいい。海外でもいい。そんなふうに開き直ったのです。だったら、思い切ったことをやってみよう、と。そして最初に、マグロをやめてしまいます。

「普通のやり方を完全にやめました。マグロは仲卸の推奨があるんですが、これを買わないと決めた。自分の目利きだけを信じて魚を仕入れて、㐂邑はこれだ、という店をやろうと。それから、ウニもコハダもアナゴもやめました。そんな店は、鮨屋じゃあり得ないですけどね(笑)」

僕はときどき早朝の築地市場に行きますが、木村さんをはじめ、すでにこの連載に登場した「鮨さいとう」の齋藤さんなど、トップの鮨屋の店主によく会います。トップの鮨屋は仲卸の人たちが魚を店まで送ってくれるから、行かなくてもいいのです。しかし、それでもトップの鮨屋の店主は今も築地に行く。

それは、自分の目で見たいからです。旬の時期とかそういうことではなく、自分の目を信じて、自分の目利きを信じていい魚を入れる。そういうことをしているのです。

「㐂邑は売れてないからマグロを買えないんだ、なんて言う人もいました。でも、それから2年ほど経ったとき、たまたま築地の仲買が、面白いことをやっているねと言ってくれて。どうせ暇だろうからと食べてきてくれた。それで、2週間寝かせた魚を食べてもらったら驚かれたんです。寝かせると、こんなことになるのか、と」

「㐂邑はちょっとヤバいぜ」と築地で噂に
翌日、セリ場で「㐂邑はちょっとヤバいぜ」という話が広まると、築地の人たちが続々と㐂邑にやってくるようになりました。

「そうしたら、マグロもないし、ないネタはいっぱいあるけど満足する、と言ってもらえて。そうすると、活魚のセリ人も、ウニのセリ人も、今度は自分のお客さまに、㐂邑に行ってきたほうがいい、と言ってもらえて」

すし匠大将の中澤さんはじめ、有名鮨店の職人たちも、プライベートで㐂邑に来るようになります。しかも、これはすごい、と言ってくれる。お客さんに次々に飲食のプロが増えていきました。

「こういう人たちを満足させるには、㐂邑でなければできないものを作らないといけない。そうでないとリピートはしてくれないと思いました。それで、鮨だけでなくつまみも、オーソドックスなのはやめよう、オリジナルをなるべく考えてやろうと思いました」

2011年頃のことです。しかし、まだ店が賑わうことはありませんでした。それでも、木村さんはあきらめませんでした。ここから3年、4年と親から借金し、親戚から借金し、そのお金をすべて新たな白身の実験に注ぎ込んだのです。

「まだ返してないんですけどね(笑)。突っ込むだけ突っ込んで、つぶしてやろう、くらいに思っていました。もう完全に振り切れちゃってましたよね」

ふらりとやってくるお客さんには「うちには新鮮なのはないですよ、それでもいいですか」と断ることも少なくなかったそうです。お客さんに絶対に媚びなかったのです。

「東京には山のように鮨屋があるんですから、1軒くらいこんな店があってもいいと思ったんです。そもそも席は9席しかない。ターゲットをとにかく絞ったんですね。それこそお客さんは東京に100人いればいい、と。何千人もいらない。100人のお客さんにローテーションで来てもらえばいい。完全にオリジナルでやろうと」

支えになったのは、食べて来てくれるプロたちの声
この突き抜け感が、結果的に㐂邑を成功させることになったと僕は思っています。お店でもお酒でも、自らのオリジナリティを創造するときに大事なのは、マスをターゲットにしないことなのです。それでは雲をつかむようなことになってしまう。そうではなくて、狭く深いことに興味を持った人に支持されるものを作る。そうすれば、あとは何とかなる。刺さる人に刺さればいいのです。

「だから、やりたいようにやっていました。ランチ5000円で25貫出したり。実験だし、ネタはたくさんありますから(笑)。でも、そうするとお客さまが『この店ちょっと面白いよ』と別のお客さまを連れてくる。これがまたちょっと変わって人で発信力があったりすると、『白身7種類で、全部味が違うよ』なんて発信してくれたりして」

少しずつお客さんも売り上げも増えていったものの、まだまだ厳しい状況は続きました。支えになっていたのは、食べて来てくれるプロたちの声。そして、師匠ともいえる美かさの大将の言葉でした。

「何年か前に、初めて『帰りたくなくなるね。ちょっと後ろ髪ひかれるな』と言ってもらえて。これでもう何も怖くなくなりました。プロの人がこれだけ喜んでくれていれば、続けてきたかいはあったな、と」

実はチャレンジはネタだけにとどまりませんでした。シャリも変えているのです。きっかけは「富士酢」との出会いでした。

「東京の鮨のお酢は大手メーカーだとばかり思っていたんですが、京都にいい酢があると聞いて。何も知らずに、とりあえず行ってしまったんですよね、アポなしで(笑)」

富士酢の醸造元、飯尾醸造には僕も行ったことがあります。京都駅から車で3時間ほどかかる場所にあります。そんな不便なところにとりあえず行ってしまうという行動力も素晴らしい。自分で見ないと判断できない、という木村さんの思いだったのだと思います。

好きな酢飯を作るため、干からびた飯を炊く
「アポなしで突然行ったのに、飯尾醸造の方から本当に丁寧に説明してもらえて。お酢の作り方も知らなかったんですが、3年かけて作っていると言うんです。それで味見をさせてもらったら、衝撃でした。これはなんだ、と」

その場で、いつも使っている大手メーカーに、どうやって酢を作っているか、電話をかけてみたそうです。

「そうしたら、機械で30分で作っています、と。3年と30分ですよ。値段が違うのは当たり前。ぜひ使わせてくださいとお願いして、持って帰ってきました、これからは、この富士酢一本で行こう、と」

僕も蔵訪問したくらい好きな作り手で、ツーンという感じがない酢です。だから、酢飯を作るにも、普通の酢と同じようには使えない。ここからまた、木村さんの徹底的にこだわった実験が始まります。絶妙の塩加減に始まり、微妙な米のブレンドまで考えていきます。そしてわかったのが、この酢を米のまわりにつけないほうがいい、ということでした。水分が多いと、酢がまわりについてしまうのです。そして最後は、常識をくつがえす炊き方で、とんでもない酢飯を作ることになります。

「浸水ゼロで炊き出すことにしたんです。これは、米の関係者に今でも怒られますけど(笑)。ただ、僕は米を炊いているんじゃない。酢飯を作っているんです。こうすれば、干からびた状態で炊きあがる。だから、酢を一気に吸う。びしょびしょにならないんです」

自分の好きな酢飯を作るのに、米の常識すら破壊したのです。しかし固めの酢飯だと、ネタも固いとコリコリして合わない。そこで、寝かしている魚を柔らかくしていくことにまた挑みます。シャリを変えるだけではない。ネタも変える。普通、鮨屋ではありえないチャレンジです。

「人気があれば、変えるのはより怖いでしょうね。でも、ずっとどん底でしたから。いいやり方が出たら、僕はまた変えちゃいますよ。それでお客さまが離れても、新しい鮨が好きな人に来てもらえたらいい」

従来の鮨の世界から飛び出る勇気を
2012年、とうとう店は追い詰められることになります。店の賃貸契約が切れる年末のタイミングで閉店を覚悟しました。お金が尽きてしまったのです。ところが、思わぬことが起きます。ミシュランの2星の獲得です。そして、知人に頼まれて初めてテレビに出ると、小さなお店にお客さんが殺到しました。

しかし、これはこれで問題でした。㐂邑の何たるかを知らなくて来た人たちから、「なんだこの鮨は?」とネガティブな反響を受けることになってしまったのです。オリジナリティのある店が、マスに広がってしまうと、こういうことが起きます。

「ネット上ではひどい書き込みもたくさんもらいましたが、途中で読まなくなりました。そんなの気にしていたら、自分の鮨じゃなくなる。書き込みしている人たちは、たまに来てああだこうだと言っているだけで、責任取ってくれるわけではないわけですよ。僕の5年間の給料を保証できるんですか、と(笑)。そんなことより、1カ月に一回、来てくれる美かさの大将が、自分の闇の中での進む道でした」

しかし、ここでしか味わえない価値に気づいた人たちが、着実に増えていきます。2週間熟成のあまだい、20日間熟成のさわら、1カ月熟成のブリ、そして圧巻は60日間熟成させたカジキ。カジキは熟成させると8キロが2キロまでに縮み、旨みが凝縮してカフェモカのような香りがします。

旨みが凝縮したねっとした柔らかいネタに、赤酢で濃い味の堅めのシャリのバランス。これが本当に絶妙なのです。

固定のファンがしっかりついた今に至っても、木村さんはチャレンジを続けています。いろんなアイディアを出し、新しいメニューを作る。そのためにも、他のジャンルの料理を積極的に食べる。フレンチ、イタリアン、中華、スッポン料理、フグ料理……。

「引き出しをとにかく多くしておきたいんです。同じ引き出しだと、先が見えてしまう。だから、何かないかな、といつも思っていますね」

イタリアンシェフとコラボして、イタリアンのキッチンにも立ったりする。新しい食材、新しい調理器具から、刺激をもらえるといいます。

「大事なことは自分の円を持つことです。その円ギリギリのところはチャレンジしていい。例えば、僕はコショウを使いますが、それは円ギリギリ。この円を壊したらダメなんです」

そうなると、際物系になってしまうのです。オリジナリティにチャレンジするといっても何をしてもいいわけではない。だから、円を持つことが重要になる。そして、いつまでも自分の完成系は実はない、と木村さんは語ります。

「この熟成鮨から次にもう一歩進んで何かやりたい、という気持ちは常にありますね。もっともっと面白いことができるはずなんです。次の何かを早く作りたい」

オリジナリティを極めると、こういう楽しみが見えてきます。チャレンジが、より面白いものになっていくのです。

■木村康司
㐂邑(きむら) 店主
1971年東京目黒区生まれ。武蔵小山にあった鮨店の三代目で、33歳で世田谷区の二子玉川で㐂邑を開業した。試行錯誤の末、独自の「熟成鮨」を生み出した。2013年版から5年連続でミシュラン2つ星を継続している。

■㐂邑(きむら)
住所:東京都世田谷区玉川3-21-8
営業時間:
昼の部 水曜日・日曜日のみ12:00~の1部制
夜の部 17:30~19:30、19:30~22:00の2部制
定休日:月曜日
座席:9席(カウンターのみ)

出典:CAMPANELLA