SUSHI TIMES

<インタビュー>自分を職人だと思って、仕事に臨む


創業45年「銀座 鮨青木」を営む2代目店主青木利勝氏に、仕事に対する心構えをうかがった。

 

世界の食を、江戸前寿司に取り入れる


「銀座 鮨青木」は、創業45年。1972年、先代が京都の木屋町に「なか田」として開業。86年、店名を「鮨青木」と改め、東京麹町へ移転。その後、92年から銀座に移り現在に至る。その2代目店主として、店を切り盛りするのは青木利勝氏。29歳で店を継いで以来、江戸前寿司を基調としつつ、さまざまなスタイルの寿司を提供している。キャビアを使用したり、ワインに合う寿司をお出ししたりと、常に新しいスタイルに挑戦しているのだ。
「江戸前寿司と言えば、昔ながらの下町スタイルで楽しむ食事という印象をお持ちの方が多いと思います。しかし、時代はどんどん流れていくもの。今や銀座には、年齢も人種もさまざまなお客様がいらっしゃいます。時代の変化に応じて、寿司も柔軟に変わっていってもいいでしょう」

江戸前寿司の文化を大切にしつつ、良いものはどんどん取り入れていく。本当に寿司職人としてこだわるべき点は、「お客様にいかに美味しい寿司をお出しし、質の高いサービスで満足してもらうか」だと青木氏は語る。


江戸前寿司以外の、さまざまな料理の仕込みも行なう


ただ、青木氏は先代である父の握る伝統的な江戸前寿司を食べ、その教えを受けてきたはず。さまざまな料理とコラボレーションするという新しい発想はどこから生まれたのだろうか。
「学生時代にアメリカに遊学していたことが大きく影響しているのだと思います。旅をしながら、いろいろな食材を食べ歩きました。

当時は、とにかく日本の食との違いに驚きどおしでした。アメリカの料理はボリュームも味もパンチがありますし、バルサミコ酢やブルーチーズなど、当時は知らなかった食材もたくさんある。カリフォルニアロールみたいに『コーラに合う寿司』なんて、当時の日本人からは生まれなかった発想でしょう。さまざまな調理法があることを知ったのも良い勉強になりました。

同時に『これらの食材や調理法を江戸前寿司にも取り入れれば、もっと幅広い寿司を提供できる』という可能性も感じたのです。以来、今でも時間を見つけては、海外へ面白い味や食材がないか探しに行きます。最近では香港とフランスに行ってきました」

 

「あきまへん!」と突き返された寿司


帰国後、青木氏は京橋の名店「与志乃」で修業を開始。ここでも、文化の違いに驚かされたという。
「卵焼きの作り方1つとっても、作り方がまるで違いました。小さな頃から父の手伝いをしていましたが、仕込みのやり方は店によってさまざま。カルチャーショックを受けつつ、寿司職人としてのキャリアをスタートしました」

修行開始から2年、青木氏は職人としての基礎を学んだ「与志乃」を離れ、先代である父のもとで改めて修行を開始した。ところがその矢先、先代が急逝してしまう。

「いきなり1人で調理場に立つことになりました。基礎は身につけていたとはいえ心許なく、握り方ひとつとっても何が正解なのかわからない」

そこで青木氏は一人で考え込まず、先輩方の店を訪問して、教えを乞うたのだという。

「先輩方には一つひとつを丁寧に教えていただきました。ここで学んだのは、みんなからかわいがってもらうことの大切さ。かわいがってもらえるからこそ、色々なアドバイスをもらえるのです。そのためには、素直であることが一番。素直であるかないかで、実力に大きな差が出てきます」

先代の急逝から、悪戦苦闘の毎日を送っていた青木氏。先代の時代に常連だったお客さんの反応はどうだったのだろうか。

「『がんばんなぁ』と言いつつ足が遠のくお客さんもいましたが、いろいろと指摘しながら通い続けてくれるお客さんも多く、とても助けられました。とくに印象に残っているのは関西からわざわざ通っていただいていたお客さん。その方には、『あきまへん!』と寿司を突き返されたこともあります。『なぜ、美味しいお寿司を出しているのに文句を言われなければならないのか……』と思うこともありましたが、今考えると本当にありがたいことです。だって、お金を払ってまで教えてくれるんですから。ちなみにそのお客さんには20年越しでやっと、納得のいく寿司をお出しすることができ、涙を流して喜んでいただくことができました」

 

下積み時代が、自分を支える


下積み時代に培った技術があるからこそ、今があるという


先輩に教えられ、お客さんに揉まれながら、腕を磨いていった青木氏。まずは、徹底して江戸前寿司の基礎を身につけたという。いつ頃から新しいスタイルに挑戦し始めたのだろうか。
「30代の後半くらいですかね。当時、ニューヨークの寿司屋で研修をする機会があり、せっかく面白いモノを学んできたからと、海外の食材を使った寿司に挑戦し始めたのです。

最近では、『Project Blue Tree』という、さまざまな食とコラボレーションする企画を展開しています。現在、その第2弾として韓国料理とのコラボレーションに挑戦中です。第3弾はフグを使った料理を、続いてイタリアンに挑戦する予定をしています」

新しいことを始められたのも、下積み時代に基礎を徹底的に学んだからこそだと青木氏は語る。

「かつて、寿司職人と言えば小僧から始まり、怒られて恥をかいて経験を積んでいくのが一般的でした。今は、大学を卒業してから料理専門学校に入り直し、1年ほど研修した後すぐに独立する方もいます。下積みの捉え方も変わってきているのです。

ですが、自分の店を持ったからといって、下積みが終わるわけではありません。仕込みを速くするとか、お客さんへのサービスを徹底するといった当たり前のことは、ずっと磨き続けていかねばなりません」

仕事には波がある。青木氏も、常に順風満帆だったわけではない。そんなときに自分を支えてくれるものこそ、下積みを経て身につけた技術なのだという。

「たとえ世間から評価されない時期が続いても、下積み時代に身につけた基礎があれば、踏みとどまることができます。苦労して身につけた技術だけが、自分を支えるのです」

 

自分を職人だと思って、仕事に臨む


「職人に引退はない」と青木氏は言う。死ぬまで仕事と向き合い、技術を磨き続けるのが職人。だが、それは決して伝統工芸に携わる人だけではないという。

「私は、『その道1本で食っていく』という姿勢で仕事をしている人は、会社勤めのビジネスマンであっても職人だと考えています。

もちろん、腕一本で食っていくのは難しいものです。ですがここでも、下積みで身につけた専門性がある人は、食いっぱぐれることはないでしょう。一つ、自分は職人だという心構えで仕事に向き合ってはいかがでしょうか」


左からトロ、中トロ、赤身


最後に、一生仕事を続ける職人だからこそ大切にしている、「仕事を長く続けるコツ」について教えてもらった。
「仕事で頑張ったぶん、オフも楽しむこと。私は、スタッフと旅行に行くことを何より楽しみにしています。そのためには、本業を全力でやる。そのぶん、オフの時間は楽しくなるのです。頑張らないとオフも楽しくはならないでしょう。バランスよく、仕事をすることだと思います」

 
出典:THE21Online