自分は鮨職人じゃない。お客様に楽しんでいただくのが仕事です。 | SUSHI TIMES

自分は鮨職人じゃない。お客様に楽しんでいただくのが仕事です。

■絶体絶命の店を星付きの鮨店へと作り上げた男


2013年秋、『ミシュラン東京2014』で1つ星を獲得。新規の鮨店が1店だけだったこともあって、一気に話題になり、大きく知名度を上げることになりました。東京・銀座の「鮨とかみ」のことです。

なんといっても最大の特徴は、しゃり。與兵衛(よへえ)の赤酢を使ったとかみのしゃりは、そこまでやるか、というほどの色の濃いしゃりなのです。味も濃い。初めて食べる人は、みんなびっくりします。ところがこれ、一度食べたら忘れられないのです。強烈に記憶に残る。そして、もうひとつの特徴が、マグロのレベルの高さです。それもそのはず。積極的にオープンになってはいませんが、店の出資者の一人は、マグロ仲卸日本一「やま幸」の山口幸隆さんだから。日本の鮨の名店は、ほとんどが山口さんからマグロを仕入れています。

山口さんがイチオシだったという「突先」の手巻きが、とかみでは、いきなり最初に出てくるのですが、これが本当にうまい。突先は、マグロの頭の脂が乗っている部分。この珍しい部位と、強烈な個性を持った赤酢のしゃりとの組み合わせが、絶妙なのです。

最高のマグロを扱い、この店を星付きの鮨店へと作り上げたのが、佐藤博之さんです。驚くべきことに、なんと鮨の世界に入ったのは、25歳のとき。それまでは、グローバルダイニングでサービスの仕事をしていたという異色のキャリアの持ち主です。その後、独立して、銀座にとかみを出したものの、お客さんが来ない。絶対絶命の危機をどう乗り越えたか。インタビュー、後編です。


中途半端が一番良くない。何にしても、どーんとやる


銀座に店がオープンしたものの、閑古鳥の日々。こうなると負の連鎖が起きてしまう、と佐藤さんは語ります。


「当初はテーブル席もあって、カウンターは10席。そうすると、2組4人入っていても、結構な空間が空くわけです。おいしいけど暇な店なんだ、何かちょっと寂しいよね、と思われてしまう。おいしいと言ってもらっても、やっぱりお客さんの空気はもうびんびんに伝わるんです」


これは、グローバルダイニングでの経験が大きかったといいます。


「グローバルダイニング時代は、お客さんにリピートしてもらうための感覚や技をたくさん教わったんですよね。会計を見たときの顔色だったりも、ちゃんと見ているわけです。そうすると、うーん、みたいな反応があるわけです」


ただ、その一方で、気に入ってリピートしてくれるお客さんもいました。


当時からずっと今も通い続けている人も少なくないといいます。その理由の1つが、特徴的なシャリでしょう。これが、クセになるのです。


「最初から突先の手巻き寿司を出して、おつまみを何種類か出して、握りに行く、というスタイルは、ずっと変わっていないんです。シャリも最初から、與兵衛の赤酢でやっていました」


佐藤さんは前に働いていた店でも、いろいろな試行錯誤をすることができる環境にありました。しかも、山口さんの一番いいマグロを触らせてもらっていた。そこで、最高級のマグロにはこれだ、というシャリを見つけることができていたのです。もちろん、独特のシャリも、そうそう簡単に生み出せたわけではありません。


「いろいろ配合を試してみたりするわけです。そうすると、もうワケがわからなくなっちゃうんです。何が正しいんだか、おいしいんだか」


それこそ何種類も混ぜてみたり、その中でバランスを考えていったりする中で、気づいたことがありました。


「中途半端が一番良くない、ということです。何にしても、どーんとやらないといけない。それに気づいて、何か吹っ切れたんです。毎日、10ミリリットル足したり、さらに10ミリリットル足したり、なんてことをやっていましたけど、結局は炊き上がる米の状態も日によってまったく違いますし、10ミリリットルって意味ないな、と思って。それで、どーんと足してみたんです」


白酢を否定するわけではまったくないと言います。あれはあれで、おいしい。しかし、中途半端にはっきりしないことが問題なのだ、と。


「結果的に、ここで差別化できたのかな、という思いはありますね。当時はそこまで色の濃いシャリはなかった。見た目が半端ないですから。なので、その段階でダメ、という人もいましたよね」


まさに賛否両論が巻き起こったのです。それでも佐藤さんは折れませんでした。オリジナリティを貫いたのです。


「それこそ、ネタにシャリを合わせる、という発想がありましたが、僕はシャリにネタを合わせよう、と考えました。シャリありきで、そこに魚を合わせる、という方向性にしよう、と。ぜひ、シャリを楽しんでほしいんです、きっとクセになりますから、と。実際、最初は違和感があったんだけど、だんだんおいしくなっていって、帰り際にはまた食べたくなっている、みたいに言われたことは少なくありません」


もとより、こんなシャリの鮨はなかったのです。みんな知らなかった。知ってもらうことによって、比べる対象ができた。これは、他にはない差別化できる赤酢のシャリだったからです。そして、ここにまた来たい、と思ってもらえるようになっていったのです。


満足してもらえなかったら、もう来てもらえない


お客さんが入らなかった時期も、店の出資者である山口さんからは何も言われなかったといいます。それにしても、鮨を握ったこともない人間に鮨屋を任せてしまう。なんとも大胆な選択です。これは、佐藤さんの人間性を見られていたのだと思います。


「本当にありがたかったのは、しょうがねえよ、オレはおまえに任せたんだから、頑張るのはおまえだろう、と言ってもらえたことです。この言葉に本当に助けられましたし、絶対にこれは恩返ししないといけないな、という気持ちになりました。こんなに信頼してもらえたら、お返ししないわけにはいかないじゃないですか。それが唯一の心の支えでした」


オーナーと店の運営者が異なるときは、うまくいかなかった多くの場合、オーナーはどんどん口を挟んでしまいがちです。あれはだめだ、これをやれ、などと思いつくままのことを言い、店がめちゃくちゃになってしまうことも少なくありません。


「それが、一切、言われませんでした」


背景にあったのは、佐藤さんがしっかり店の管理をしていたからだと思います。グローバルダイニング時代に、数字の管理を叩き込まれていたのです。


「原価率や人件費などは、しっかり管理していました。オープン当初は黒字にはなりませんでしたが、最低限の出費には抑えてもいました。何か聞かれたときには、すぐに返答できるようにしておきましたね」


そして、佐藤さんは鮨店としての必死の努力を続けていきます。


「もう自分を信じるしかありませんでしたから。これしかできないわけです。これもグローバルダイニングで教わったことでしたが、どうやったらお客さんに来てもらえるか、ということなんです。来たお客さんに満足してもらうしかない。高級店としてやらせてもらっていく以上、外でビラをまいたりもできないわけです。何かのきっかけで来てもらった人に、どれだけいいパフォーマンスをするか。それだけなんです」


来店が少ない中でも、常に自問自答はしていたそうです。


「お客さんは本当に満足したのか、しなかったのか。それは、言ってもらえないじゃないですか。でも、満足してもらえなかったら、もう来てもらえない。その理由が何だったかわからないと、同じことの繰り返しです。だから、それを汲み取ろうとしていました。また、これで良かったのか、あれで良かったのか、値段はどうだったか、握りのクオリティ、魚、つまみ、すべてを見つめ直し続けました」


お客さんがまた来たくなるかどうか、ということを軸にして、常に考えていたのです。


チャンスを手に入れるだけの行動を起こしていた


ただし、このときに貫いたことがありました。お客さんを獲得するためには何をしてもいいわけではない、ということです。


「僕たちは江戸前鮨なんです。だから、江戸前鮨の仕事は外すまい、という芯は一本、必ず置いていましたね。そこから、お客さんに喜んでもらえそうな、時代に合わせたものを試していく」


赤酢のシャリという強烈なオリジナリティがある一方で、江戸前鮨の芯は外さずに、クリエイティブを追求していったのです。


「卵焼きを昔ながらの炭火焼きで作ってみたり、ウニを温めて出したり、低温調理がはやっていたので煮ハマグリで試してみたり。ただし、トリュフやキャビアはちょっと違うので使わない。江戸前鮨としてできる範囲で、片足だけ踏み出してみるんです」


そのために、アンテナを広く立てて、外とのつながりを大事にしていきました。


「いろんなレストランで食べ歩きをすることもそうですし、それこそテレビを見たり、本を読んだりすることもそう。カツオの生ハム仕立てを店で出したのは、テレビで生ハムを豚で作っていたのを見たのがきっかけでした。何か応用できないかな、と思って。普段過ごしている中でも、何かしらどこかで探していますね」


しかし、ほとんどお客さんのいない状態で負の連鎖が進んでいました。それこそ、おいしいものを作っても、知ってもらえないとリピートしてもらえないのです。オープンからしばらくして、テレビに少し取り上げられる機会がありました。しかし、それも長くは続きませんでした。


「テレビの効果って3カ月くらいですから。パッとそのときに電話は鳴るんですが、すぐに忘れられてしまうんです」


ここで最大の転機がやってきます。ミシュランガイドで1つ星を獲得するのです。ミシュランガイドの調査員が来ていることには、まったく気づかなかったのだそうです。


「本当にわからないんです。食べログだって、当時レビューは2件くらしかなかった。星も3点前半ですよ。なのに、よくミシュランが来たな、と。既存店ではないわけです。鮨屋に変えたことも、広く知らせていたわけではなかったですから。本当に謎です(笑)」


しかし、ミシュランが来たのは、事実。そして星を取ったのも事実なのです。


これは、山口さんにも言われたそうです。「おまえは本当にラッキーなヤツだ」と。考えてみたら、銀座で鮨店をやるなんて、簡単にできることではありません。しかも、その前の店でもマグロ担当を任されて、最高級のマグロでいろいろな試行錯誤をする機会を得ていた。
そして、やってみたいと手を挙げたら、銀座の和食の店が鮨店になり、本当に銀座に鮨店ができてしまった。鮨をまともに握ったこともなかったのに、です。さらに、ミシュランの星の獲得。ただ、佐藤さんは単に運が良かっただけではないでしょう。チャンスがやってきたとき、それを手に入れるだけの準備をしていたのです。だから、着実にチャンスを手にすることができた。もとより、チャンスを手に入れるだけの行動を起こしていました。誘われた店に思い切って行ってみる。そこでご縁や人を大事にする。むちゃかな、と思ってもチャレンジしてみる。そして、人にかわいがられるチャーミングな人間性も大きかったと思います。人の良さ、一生懸命さは、どんな仕事をする上でも大切なことです。そしてそれは、過去の経験から培ってきたものだったのだと思います。


鮨はお客さんを喜ばせるための道具


ミシュランの星付きになっても、佐藤さんはまったく変わりませんでした。


「暇なときから何も変わっていないですね。鮨の仕事の基礎があって、グローバルダイニングで教わったホスピタリティがある。これを大事にしています。むしろ、繁盛し始めたときこそ、危機感を持たないといけないんじゃないでしょうか。それもちゃんとグローバルダイニングで教わってきましたから」


忙しくなってきて、仕事が雑になったり、テングになったりしたら、長続きしないということをよくわかっているのです。


「それこそ今やっていることが、3カ月後、半年後に反映される、と思っています。今をしっかりやらないと、先がついてこない。初心を忘れないように、いつも謙虚に、というのはずっと心がけてきたことですが、今もそうですね」


さまざまな試行錯誤やお客さんの反応、増えていくリピーターを見て、自信はだんだんついていったといいます。


「自分を信じてやっていましたけど、結果がついてこなかった。でも、今は認められたということも素直に受け入れて、その上でもっと頑張らないと、と思っています」


そして、とかみの大きな特色が、外国人のお客さんも多いことです。フーディストの間で有名なインスタグラマー、マーガレットが投稿したことも大きかったようですが、そもそも外国人観光客の受け入れを歓迎しているのです。


「英語対応もしないし、予約も取らない、という店もありますが、僕は本当にウェルカムでしたから。あの鮨店は対応してくれた、というのは、外国人の間ですぐに広まるみたいですよ」


佐藤さんは、そもそも自分は鮨の職人ではない、と語ります。


「やりたいのは、お客さんに喜んでもらうことなんです。それが楽しくて、飲食の仕事を選んだんですから。グローバルダイニングでウェイターを担当させてもらうようになって、あるときお客さんが帰った後のテーブルの上に手紙が置いてあったんです。紙ナプキンの裏ですけどね。あなたのおかげで楽しい食事ができた、と。これが超うれしくて。サービスをやってよかったと本当に思った。これが僕の原点なんです。だから、鮨の職人をやりたいわけじゃない。鮨は喜ばせるための道具なんです」


目指しているのは、世界一の鮨屋だ、と語ります。ただ、何をもって世界一なのか、というのは決めていないそうです。何の一番かわからないけれど、とにかく世界一の鮨屋を目指すのだ、と。


「どこまで行けるのか、試してみたいんです。そして、自分の思いの宿った仲間を増やしていきたい。江戸前鮨を後の世代に伝えていきたい。たくさんの人が人を喜ばせることができるようになったら、僕も幸せです」


佐藤さんは2017年3月、とかみを後進に譲り、自ら独立を決めました。場所は銀座。店の名前は「はっこく」に決まりました。はっこくとは「白黒」。白と黒、陰と陽、静と動といったように、表には必ず裏があり、互いにバランスを取り合っている、なくてはならないもの。自分たちがいるのも、家族やお客様、仲間の支えがあるからこそです。名付け親はONE OK ROCKのボーカリスト、タカさん。白黒ハッキリつける侍のイメージから付けたそうです。


お店には6席の個室が3つあり、オープンは2018年2月の予定。いよいよ独り立ちです。鮨職人とウェイターを両輪とした最高のホスピタリティで、鮨屋のグランメゾンを目指す。オリジナリティは、さらに突き抜けていくことになるはずです。

  
■佐藤 博之
鮨とかみ 店主(現在は、すでに独立)
1978年生まれ。19歳でグローバルダイニングの「ゼスト」で働き始め、飯倉の「ゼスト」の店長も務める。25歳の時のアメリカ旅行で鮨屋になることを決意し、渋谷「秋月」で6年間にわたって修業する。その後、イタリアンダイニングレストラン、和食の店などを経て、2013年3月に銀座・「鮨とかみ」を始める。赤酢を使ったしゃりと、マグロのレベルの高さで、『ミシュラン東京2014』で1つ星を獲得した。2017年3月には店を後進に譲って独立。2018年2月に銀座で新たな店「はっこく」を開業する。

■鮨とかみ(佐藤氏は2017年3月に退職)
住所:東京都中央区銀座8‐2‐10 銀座誠和シルバービルB1F
TEL:03‐3571‐6005
営業時間:昼の部12~14時半、夜の部18~23時
定休日:要問い合わせ
ウェブサイト:sushi-tokami.com
完全予約制

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出典:CAMPANELLA

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